~ハワイの太陽、人生のビッグバレル~" />

マーボーロイヤル代表/JPSAプロ小室正則氏インタビュー
~ハワイの太陽、人生のビッグバレル~

辻堂海岸からほど近いロケーションにあるサーフショップ マーボーロイヤル。オーナーの小室正則氏は、日本人のハワイ観光の礎を築き、ハワイ名誉市民賞(※)を授与された日本とハワイとの架け橋であり、日本でハワイのことを最もよく知るレジェンドだ。ハワイの太陽のように明るく朗らかな小室氏を慕って多くの人が集まるマーボーロイヤルの店内に、小室氏の豪快な声が響き渡る。
※ハワイ名誉市民賞:マーボーロイヤルの名前の由来でもある

今年(2020年)で53回を数える伝説的なサーフィンの大会マーボーロイヤルカップでは、ロングボードのプロ・アマサーファーとレジェンドが一堂に会し、楽しく賑やかな大会が進行していく。今年は、コロナ禍後で最初のサーフィンの大会として、厳重な安全対策を講じて実施された。小室氏にマーボーロイヤルカップへの想いや、壮絶な人生など、話をお聞きした。

<小室正則氏 選手時代の実績>
1968年 全日本サーフィン選手権大会優勝
1992年 JPSAロングボード部門 3位
1993年 JPSAロングボード部門 3位
1994年 JPSAロングボード部門 2位

<小室正則氏シェイプのボードを使用している主なライダーの情報(過去含む)>
ラスティ・ケアウラナ (世界大会優勝4回)
バッファロー・ケアウラナ
ブライアン・ケアウラナ
メルビン・プー
善家誠
添田博道
青田琢二

(インタビューはここから)

ジェリー・ロペス との出会い

[AO] マーボーロイヤルは、初めてライトニングボルトを日本で販売されたと思いますが、その時のいきさつを教えていただけますか?

[小室正則氏、以下KM] 最初はさ、新婚旅行とサーフトリップを兼ねてハワイに行ったことが始まり。ハワイに37人連れてって税関でとっ捕まってさ、もう大変だったよね。もうハワイに来たくないとまで思ったね。新婚旅行だったのに英語が分からなくて疲れたよ。当時俺のショップのライダーだった、添田博道から、青田琢二、善家誠とか、ハワイに凄いメンバーを連れて行ったわけ。添田博道と青田琢二は500ドルしかなかったんだ。当時1ドル365円だったんだけど。

1ヶ月間もいるのにどうやって500ドルでね、生活出来るかって、困ったよ。俺、当時団長じゃなかったんだけど、勝手に団長って呼ばれてさ。税関で4時間半足止め食らって、奥さんには泣かれちゃうし、周りの人には見られるし。

小室正則氏
photo by sorai

[KM] それで税関で素っ裸にされてさ。4時間半かかって、やっと出してくれたよ。そしたらマイケル・トングさんってさハワイサーフィン連盟の会長が「マーボーか」って話しかけて来たから、「そうだ」って言って。周りはフラのツーリストのお姉ちゃん達がレイをかけて待ってるわけよ。その間から、すんごい女が来たわけ。ブルーの水着で最高にいい女だった。見たら、「Miss Hawaii」って書いてあるの。で、そのミスハワイの女性が俺を出迎えてくれて、レイをかけてほっぺたにチュウしてくれたんだよ。

その時にマンゴーガイジニアっていうさ、香水をつけてたわけ。ハワイの女の人が全員つけてたよ。後で、ハワイ中探して、その香水を10個買ったよ。その香水はね、現地の人がマンゴーとケシの葉をミックスして作ってたの。昔はほら、そんなにハイカラじゃなかったから、そんな手作りの香水を脇につけるわけよ。それで、白人がそれを、製品として作って、売り出したんだよ。俺もその香水の匂いが好きで、その匂いがすると俺はハワイを思い出すんだよ。

帰国後、香水作ったんだよ俺。これがマンゴーガーデニアっていう香水。俺、この匂いでまいっちゃったんだよ。今日本でマンゴーガーデニアの香水を販売しているのはマーボーロイヤルしかない。良いでしょ?こんなのサーフショップで作ってるところ無いよ。

マンゴーガーデニアの香水
photo by sorai

[KM] それから、バスの運転手がマカオでね、そこの波を見せてくれたの。そしたら、凄い小さい波で、なんだ大したことねぇなと思ってさ。当時、俺が23歳の時で、それから島を一周回って、またマカオに戻ってきたら、波がでかくなってるんだよ。

チビ太っていうのと(小林正明氏)、一緒に波に乗ってたら、フィンが壊れちゃって、ライトニングボルトのショップが有ったから、そのショップでフィンを買って、それで、ノースショアに行ったの。そこで、みんなで一杯飲んでたんだけど、みんなは飲みすぎて俺はそんな飲まなかったの。それで、パイプラインに入って行ったら、ジェリー・ロペス(Gerry Lopez)がそこにいたんだよ。

黄色地に赤色のマークのライトニングボルトの板に乗ってた。俺の方に向かって来て、俺がフッと彼を見たら、「日本人か?」って聞くから、「そうだ。ニックネーム、マーボーだ。」って言ったんだ。それで向こうが、「ジェリー・ロペスだ」って言ったんだ。「おー!これがジェリー・ロペスか!!」ってびっくりしたよ。

[AO]そこで初めてジェリー・ロペスに出会ったんですね。

[KM] そう。それで「Come on」て言うから、「OK」って言って、一緒にサーフィンしたんだよ。4本乗ったね。

[AO] それは約束してお会いになったんですか?

[KM] 違う違う。偶然そこで出会ったんだよ。俺たちがハワイ旅行のはしりだったんだから。もう75回行ってるよ、50年の間に。ハワイが好きだったから何度も行って、ハワイでサーフィンが上手くなった。

マーボーロイヤル内観
photo by sorai

[KM] パイプラインでジェリー・ロペスと会って、仲良くなって、もうその時に、日本に来いって言ったの。それで、翌年ジェリー・ロペス、リノ・アベリラ(Reno Avellira)、レラ・サン(Rell Sunn)とかを日本に呼んで。凄く面倒見たの。レラ・サンってクイーンだね、癌で死んじゃったけど。それが凄くハワイに好評になって、それでライトニングボルトを始めたわけよ。それで、ブームにしたろ。

その時、植田(植田義則氏)は、まだうちの社員でさ、うちでサンディングマンやってて、シェイプ覚えたいからって言うから、シェイプ覚えさせて、今Y.Uだよね。植田もグーッと伸びてさ、今シェイパーでトップクラスですよ。世界的なシェイパーで凄いと思うよ。日本で一番だと思う。サーフィンも上手い。

[AO] 当時からやっぱり何か優れているなと思われて…

[KM] いや、そんなこと全然感じなかった。自分で勉強したんだよ。

[AO] そうなんですね。

[KM] 努力家だったから。サーフィンでも全日本のチャンピオン取ってるし。大したもんだよ、あいつも。

マーボーロイヤル内観
photo by sorai

※「柔道馬鹿」の文字のボードは、柔道の井上康生氏のサーフボード

バンザイ・カミカゼ・サーファー

[KM] それから、ハワイでパイプライン滑ったの、日本で俺が一番早いよ。だから今回もホノルル政府から、パイプラインマスターの選手に招待されたわけ。俺がジェリー・ロペスとかバハロを呼んで、芸者あげたり屋形船に乗ったり、天山温泉(天山湯治郷)に連れて行ったり、それから京都にも連れて行ったんだよ。京都行ったときなんか、金閣寺見たら、全員停止だよ、感動して。

だからハワイの連中は俺のことを凄く愛おしいと思ってくれて、ハワイの一員だと思ってくれてるんだよ。特にマカオだね。マカオなんか、なかなか海に入れないのよ。マカオで日本人で仲間として見てくれて、入れるのは俺だけだった。そういうことから始まったんだよ。

俺は日本のチャンピオンだったけど、なかなか乗れないんだよ。3時間いたって、乗れるのは1発か2発だもん。それなのに、ハワイの連中はみんな、凄い波にバンバン乗りやがるんだよ。これじゃまずいなと思って、俺は翌年に、日本刀のイミテーションと兜を持って、ハワイに持ってったわけ。凄い高かったけど、買ってね。それで、新聞社に飛び込んだの。そしたら凄くでっかく乗っけてくれて。「日本から、万歳神風サーファーが来た」って。そしたら、すぐスポンサーがついたよ。

[AO] ハワイで大会を開催されてたんですね。

[KM] 俺がハワイの子供たちと仲良くなりたいと思って、ハワイのみんなと一緒に大会を開いたわけ。パーティーも一緒にね。パーティーなんて、貧しい人とかもいっぱい来たんだから。当時、ハワイのローカルの人達はみんな貧しかったから。カメラを置いてフッて見ると無くなったりとかもしたもんだよ。でも俺は怒んなかった。マーボーロイヤルのね、ハワイのサーフィンの大会、マーボーミートっていう、一週間かけてやる大会なんだけど、大会の主催を23年やってきたんだよ。

その大会をやって行くうちに、みんなマーボー、マーボーって慕ってくれるようになった。今、ハマイに日本人が行けるだろ。その下地は俺が作った、これはもう誰もが認めてくれている。自分が誇れることです。それで10年目に認められて、ハワイ名誉市民賞を頂いて、ホノルル政府からタウンアンドカントリーっていう勲章と賞状をもらったの。それで、マーボーロイヤルって、自分のブランドにしたわけよ。

マーボーロイヤル内観
photo by sorai

マーボーロイヤルは 本物のハワイ

[AO] ハワイ観光の道を開いたということですね。その大会は今はなんていう名前なんですか?

[KM] 今はハレイワオープン。

[AO] 当時はなんていう名前の試合だったんですか?

[KM] 当時はマーボーミート。俺のニックネーム。元々マカオでやってたんだけども、7回目からハレイワに移したんだよ。その時の貴重な写真がこれだよ。これ一枚しかない貴重なものなんだ。

第7回マーボーロイヤル・チャンピオンシップの写真
photo by sorai

[KM] ジェリー・ロペスが俺をおぶってる写真。その少し前、俺が19歳の時に全日本で優勝したんだよ。

ジェリー・ロペス氏(左下)と小室正則氏(右上)
photo by sorai
小室正則氏
photo by sorai

※井上康生さん、荻原健司さん、SHIHOさんら、坂口憲二さんら、マーボーさんを慕っている、芸能人の生徒さんの写真がずらりと飾られています。

[KM] ハワイは何で栄えた?観光でしょ、ホテルでしょ。マーボーロイヤルな、俺もハワイで栄えた。波でも栄えたでしょ、パイナップルで栄えたろ、ヤシの木でしょ、商売。マーボーロイヤルは。そういうお店だし本物のハワイですよ。

マーボーロイヤル外観
photo by sorai
マーボーロイヤル外観
photo by sorai

幻のボトム

[AO] 小室さんがシェイプするボードの特徴を教えていただいても良いですか?

[KM] 俺が削る板は「幻のボトム」って言うんだけど、ハワイで編み出したわけ。最初さ、カリフォルニアっぽい板を持ってハワイに行ったんだけど、上手く乗れないわけよ、波が早くて。で、レングスをちょっと短くして、2m75cm位にして、幅を50cmくらいにして、フィンはトライフィンで。それでみんなが不思議がっちゃって、で、俺の板貸したら、調子が良いってことで。

それでバハロ達に頼まれて、板を全部作ってあげて、俺の板が一番調子が良いって、評判になったわけ。ハワイで、俺がボードを削ってたら、20人くらいノースショアのシェイパーが集まっちゃって。それでさ、「いや~、見たこともないシェイプのボードだ」って言ってるんだよ。日本語で「幻」。よし、これで行こうって思って。「幻ボトム」という名前にしたんだ。それで、当時のサーフボードメーカーが俺のボードを真似して、同じようなものを作ったんだよ。だから俺が教えてあげるからって言ってな。

この幻ボトムのボードが有名になって、今俺がクローズアップされてるわけよ。幻のボトムの理論は詳細に書いて残してあるよ、シェイプの方法をね。

小室正則氏
photo by sorai

[AO] どういう形状のボトムなんですか?

[KM] ロッカーがちょっと強くて、ボトムがヴィーになってるわけ、ちょっと乗っかるところが。ボードをレングス方向に三分割して考えると、真ん中の部分、胸が当たるところに浮力を付けるボリュームにしてる。何故かっていうと、前行くときに浮力があるから沈まないように、それからテールで乗ってコントロールする時にバランスを取れて揺れないようにしてるわけ。ヴィーにしてると板がフラフラするんだよ、動くだけで、そこのところをカットしたわけ。そうするとバッチリになる(安定が増す)わけよ。

[AO] 断面を見た時に台形みたいな形ということですかね。

[KM] そうだね。そうするとふらつきもなくなるだろ。それで、ロッカーがちょっときついの。レールトゥーレールがしやすくなってるんだ。滑ってて、レール、ボトム、レール、ボトム、レールっていう風に切り替えられるわけだ。普通の板は横一直線なんだけど。俺の幻のボトムの板、レールトゥーレールの切り替えが早いの。それが俺のシェイプ理論・哲学で、幻のボトムなんだよ。

[AO] レールからレールに切り替えやすくて、レールトゥーレールがしやすいんですね。

[KM] 切り替えやすい。だから幻のボトムが優れてる。ハワイの波にはフィットして調子が良いわけよ。他のメーカーにも優秀なシェイパーの方は沢山おられるけども、幻のボトムに関しては俺が考案して、他メーカーがみんな真似っ子だから、悪いけど、全部が。俺自分で作ったもん、ボトムも。

世界一のシェイピングルーム

[KM] これが俺のシェイピングルーム。世界一のシェイピングルームだから。凄いでしょ。

マーボーロイヤルのシェイプルーム
photo by sorai

[AO] 凄いですね、歴史が詰まってますね。

[KM] ここでさ、プレイナー持って沢山のボードを削って来たんだよ…。

小室正則氏
photo by sorai

[AO] ここで、たくさんの名作が生まれてきたっていうことですね…。

シェイプルーム内のサーフボードテンプレート
photo by sorai
小室正則氏と作成中のボード
photo by sorai
[KM] そうだよ。通常はシェイピングルームはこんなに高さ要らないんだけど、ここはロングボード専門に作ったからね。

小室正則氏
photo by sorai

[KM] お金もかかって大変だったけど…ハワイアンが世界で一番良いっていうわけ。

小室正則氏
photo by sorai

マーボーロイヤルカップ について

[AO] マーボーロイヤルは、いつも賑わってて、BBQされたり、大会を開催されたりとか、本当にいろんな方に愛されてますよね…。

[KM] お神輿とか乗せられたりするんだよ、なかなか乗れないよ。 やっぱりね、マーボーロイヤルには長い歴史もあるからさ。マーボーロイヤルカップの試合は、15kgか20kg程の重い昔の板でやる試合なの。クラシックの板でやるの。それがみんな面白いって言ってくれてるね。

小室氏、川合氏、出川氏の写真(左)と神輿に乗る小室氏の写真(右)
photo by sorai

[AO] このマーボーロイヤルカップは本当に歴史のある大会ですよね。

[KM] 今年(2020年)の大会で53回目。来年54回目だよ。

[AO] マーボーロイヤルカップを、始めたときの経緯を聞かせて頂けますか?

[KM] 最初は小さかったのね。10人ちょっと位くらいの大会だったんだよ。サーフィンを流行らすためにね。JPSAのプロを作ったのも俺達だからね。JPSAを作ったのも、サーフィンを流行らせたかった。シェイプを始めたのは、板も日本にはあまり無かったんだよ。だから自分達で削った。最初レールを切るのなんか、のこぎりを使ってたんだよ。そんな感じだったけど、だんだん良くなって行った。

[AO] マーボーロイヤルカップはやっぱり思い入れもありますよね。

[KM] あるあるある!!今回はコロナの緊急事態宣言解除後に開催した大会だから、感染防止対策とか、安全対策とか気を使って、万全の対策で大会を開催したんだ。費用もかなりかけた。手袋、マスク、フェイスガード、交通整理要員。それから、辻堂海岸の前に関所を作って、それに、ソーシャルディスタンスを確保するために、2mずつ白線を引いたりもしたんだよ。みんな、ブルっちゃって、万全の準備に驚いていたよ。完璧だって言って。大会が成功すれば、後の人達がやりやすいだろうと思って、決断したんだ。その後、JPSAの特別戦とか大会が出来るようになって良かったよ。

[AO] 素晴らしい対応ですね。

[KM] みんな、歴史に残る大会だって言ってくれたよ。

[AO] 今年のマーボーロイヤルカップどうでしたか?全体的に。

[KM]今年はもうばっちりだよ。今年大成功だろ。

[AO] 来年も楽しみですね。

「第53回 JAPAN TOTAL HOUSING presents Y&K PARTNERS R-STYLE Y&Kパートナーズ湘南合同事務所 Panasonic Homes マーボーロイヤルKJカップ 2020」

協賛:JAPAN TOTAL HOUSING、Y&KPartners、R-style、Y&Kパートナーズ湘南合同事務所  他多数

小室正則氏
photo by sorai

5人のレジェンド

[KM] 日本サーフィン連盟が認めた本当のレジェンドって言ったら5人しかいないんだよ。出川三千男・川井幹雄・ドジ井坂(井坂啓美氏)・長沼一仁、と俺。この5人。

[AO] 長沼さんからもちょっとお話お聞きしたんですが、小室さんに負けたのが、一番悔しかったと…。

[KM]長沼は俺が全日本優勝した時2位だった。場所が鎌倉だったからね。俺は辻堂だったから、鎌倉の長沼に負けたかなと思ったけど、俺が滑ってる時に、岸の方で絶好の波が来たんだよ。逃さずにその波に乗って、チューブ入って出てきたわけ。観客は拍手してくれたよ。大したテクニックじゃないけども、ジャッジの心をどーんと打つものがないとね。

[AO] なるほど。印象付けるようなことですね。 小室さんはの選手時代のライバルはどなただったんですか?

[KM] ライバルは出川、川井、長沼、ドジ井坂とか、みんなだよ。それから、第二期のチビタ(小林正明氏)、青田琢二、添田博道、第三期の、久我孝男と糟谷修自だよ。トロフィーも沢山有ったんだけど、自宅を補修した時に捨てちゃったんだよ。今思えばとっとけば良かったよ…。百個以上あったよ。大馬鹿だよ…。

[AO]ライバルだった皆さんの事を、どのように感じられていましたか?

[KM]上手かったし、ファッションもカッコ良かったよ。サーファールック、最高だったよ。

[AO] 小室さんも恰好良いですしね。

[KM] おぉ、そうかい(笑) みんなもうね、甲乙付けがたい。素晴らしい人たち。みんな日本のサーフィン界の親分だから、今でも仲良くしてるよ。

サーフィンがもっとメジャーになって欲しいよね

[AO] 今でも5人の方とは仲良くされてるんですね。

[KM] 仲良いよ。年取って、すごく仲良くなった。自分も72歳だしさ、喧嘩したってしょうがないじゃん。長沼、川井、出川、ドジ、これがサーフィン業界の国宝級だからね。この5人はね、本当に国宝級だよ。先日、ある方と飯食ったら、こう言ってくれたよ。

「小室さんたちが一番だ」って。「なぜですか?」って聞いたらと、「不良でね、ナンパばっかりしてたのが、オリンピック種目にまでなった。サーフィンという競技を、一番最初にやったことが一つ。それに、テニスの選手がテニスラケット作れますか?陸上の選手がシューズを作れますか?小室さん達はサーフボードを削って作るんですよ。だから一番だ。」って言ってくれたの。それだけ凄い事をやってるのに、サーフィンがまだ全然取り上げられない。おかしいってことを言ってた。もっと取り上げて欲しいよね。

[AO] そうですね。

[KM] サーフィンが一番見てて面白いと思うよ。

[AO] まだ、認知が十分広まってないと思いますね。

[KM] そうだな。認知っていうかさ、昔にあった女ナンパしたとか、ごみを捨ててとかそういうイメージがな…。なかなか、だから…。でもさ、もうオリンピック競技種目になったんだから。サーフィンがもっとメジャーになって欲しいよね。俺たちがさ、そうしたんだから。

愛のボトムターン

[AO] 小室さんのサーフィンのスタイルや特徴を教えていただけますか?

[KM] 俺のサーフィンの特徴は、ボトムターンだね。「愛のボトムターン」、世界的に有名なんだよ。これが愛のボトムターンだよ。

幻のボトムのサーフボードと、愛のボトムターンの写真
photo by sorai

[KM] こんな鋭いボトムターンは誰にも出来ないよ。俺の幻のボトムが有ってこそ出来るんだよ。それからローラーコースターも得意で、日本で覚えたのは早かった。別名ぱくりんちょすとも呼んでるよ。冗談半分だけど(笑)

愛のボトムターン等マニューバーについての小室氏の話
movie by マーボーロイヤル

[AO] 凄い厳しいボトムターンですよね。波もハワイの波で相当大きいですし。

[KM] アラ・モアナ・ボウルズっていうポイントだよ。

※アラ・モアナ・ボウルズは、ビッグバレルで有名な、オアフ島サウスショアのサーフポイント

俺達にもそれだけの歴史がある

[AO] 今までで一番気持ち良くサーフィンできた時の事を教えてもらえますか?

[KM] やっぱり稲村のアウトサイドだよ。稲村で練習やるじゃん。稲村でサーフィンをし出したのだって、俺たちが一番早いの。俺と小川と。死んじゃったドロッパ、小川さん。

[AO] エド小川さんですか。

[KM] そう。俺達にもそれだけの歴史があるわけよ。俺グーフィーじゃん、小川さんもグーフィーだったわけよ。稲村の波はグーフィーだから俺達には凄く良くて、もう最高の思い出だね。稲村のアウトサイドとインサイド、あと峰ケ原の良い波ね。それから七里ガ浜のグーフィー、あとハワイでのサーフィンが思い出に残ってるね。

[AO] エド小川さんとも仲良くされてたんですか?

[KM] 仲良かったよ。でも死んじゃったからさぁ、寂しいよね。俺たちが喧嘩になるとさ、「まぁ、まぁ、まぁ、まぁ」って言ってさ、それが、自分が一番早く死んじゃうんだもん。

[AO] 仲裁役だったんですね。

[KM] そうだな。

[AO] あと、一番印象に残った試合ってございますか。

[KM] 試合ね、いろいろあるけども、やっぱり全日本で優勝した時だよ。七里ヶ浜の。

小室正則氏
photo by sorai

[AO] 長沼さんと対決した時ですね。

[KM] そうそう、あれが一番の思い出だよ。それから、稲村の大会で準優勝だったんだけども、あの時のジャッジには納得してないね。俺にトロフィーくれなかった。俺の方が優勝だったと思ってる。

[AO]何があったんですか?

[KM] 優勝は小川さんになったんだけど、俺がでっかい、トリプル位の波に乗ってさ、今でも俺が優勝だったって思ってる。ジャッジにふざけんなって言って交渉したけど。その時のことも覚えてるな。でも、やっぱり全日本で優勝した時が、一番の思い出だね。今でも覚えてるもん。そこにクラシックの白黒の小さい写真があるだろう。「to MABO Michio Degawa」って書いてある写真。それが、俺が優勝した時の大事な写真だよ。出川が写真持ってる人から買ったのよ。それを俺にくれたんだから。もう無いから、そういう写真は。

小室正則氏が全日本の大会で優勝した時の写真
photo by sorai

波乱万丈だから

[AO] 今まで大変だったことや辛かったが有れば教えていただけますか?

[KM] 辛かったことは、まずライトニングボルトをやっていた時に忙しくてノイローゼになったこと、会社の倒産、それから最初の奥さんとの離婚、再婚した奥さんに自殺されたこと。「あと刑務所があれば仙人だ」って言われたよ。本当だよ、お前。でも刑務所だけ入りたくないからさ(笑)

その4つを経験したんだけど、どれも本当に辛かった。ボルトで倒産して、借金で迷惑かけちゃいけないから最初の奥さんと離婚しただろ、あと離婚したのもこっち(女)で失敗したから、俺が。どうしようもなかった、モテたからさ。で、でっかい借金できたけど、再婚した二番目の奥さんと一緒になって億の借金を一緒に返してくれて、更に億の資産を作ったんだよ。でもその後自殺されて…、2年位何もやる気が起きなくて、仕事もやらずに寝てた。それで、もう(会社も)潰れて。全部持ってけって銀行に言ったの。ドン底の時だった。でも、仲間がね、「マーボー、お前がいないとだめだから」って、それで俺立ち直って。それが、今から20年位前の話だ。辛かったもん、その時。最愛の奥さんに自殺だよ?仏教でも一番(辛い)だって、本当に辛かった。波乱万丈だから。

[AO] 壮絶な人生ですね…。

[KM] お前さ、しょうがない。やっぱり死なれたんだから、俺が死ぬまで供養だよ。

[AO] 大変でしたね。仲間がいたから立ち直れたんですかね。

[KM]そうだな…自殺しちゃいけないから、俺が。大変だったよ。そういう苦労してさ、でも百箇日、1年間、経った時には俺もう泣かなかった。もう毎日365日墓参り行ったよ。だから強くなった。供養すればするほど、心の中に入ってくるだろ。でも、5、6年は入らなかった。泣いてたよ。なんで死んじゃったって。

全てを狂わせて、やんちゃになれる

[AO] サーフィンのどういうところが小室さんを魅了しますか?

[KM] 全てを狂わすところだよ。やんちゃになれることだよ。テクニックが難しいから、それを目標にして、自分が命がけで滑って行く。それがやっぱり楽しみで、醍醐味だよ。

[AO] 死にそうになったり、危険な目にも遭われたんですか?

[KM] 死にそうになったことはいくらでもあるよ。お前、どれだけ波に巻かれてんだ。俺はまだ17歳で、好青年だったよ。みんなに「いちごかっぱらいに行こう」って誘われたけど行かずに、サーフィンやってたんだよ。面白かった。辻堂海岸で、台風の時で、俺がまだサーフィンを始めて間もない頃だよ。でかい波で。下手だったし。波に巻かれて真っ黒な海の底まで落とされたんだよ。「お母さん!お母さん!お母さん!」って3回言って、息が詰まっちゃうんだよ。苦しくて水飲んだの。そしたら口に入ってた空気が肺に入ったの。海の底の方からバーッと水面の方まで来て、光が見えるからバーッと上がって行って、ぎりぎり海面に出られて、口だけ出して息を「フッ」と吸って、その時に波が来ていたら俺は今生きてなかっただろうね。500m位流されて、上がってきた時には唇が震えてたよ。

小室正則氏
photo by sorai

[KM] そういうおっかない思い、死ぬ怖さも経験してるよ。落ち着いて対応したから、その時は死なずに済んだんだよ。生きててよかったな、と思ったよ。まだこの辺りが何も無い時の話だ、17歳で死ぬ怖さを知ったんだから、俺は。

[AO] 落ち着いて対処したから、命拾いされたんですね。

[KM] 水泳部の部長で、藤沢市でも3番までには入る位だったから、水泳は上手い方だった。だから知識や経験で、海のことは分かってた。先ず、落ち着くことが大事。台風の時とかに海で流されても、海の流れが弱まるところがある。落ち着いていれば、そこから泳いで帰って来ることも出来るわけ。動転してしまうと、水を飲んで、水が肺に入ったりして、溺れちゃうんだよ。俺が死にかけた時には、肺に空気が残っていて、落ち着いていて、水を飲んでも肺の方には入れなかったから、溺れずに海面まで上がってくることが出来たんだよ。それだけの経験してるんだよ、だから本当のサーファーよ。自分で自慢しちゃいけないんだけども。

[AO] 慌てずにいて、肺に水を入れなければ、水を飲んでも海の底から上がって来れるんですね。

海は何も言わないんだよ。ただ俺に教えてくれる。

[AO] 自然とか海について想われることが有れば教えてください。

[KM] 湘南の海は愛があってね、落ち着きがあって、日本で一番良い海だと思う。やっぱり俺は辻堂の地で育ってるし、湘南の地で育ってるし、湘南の海に愛着がある。海は何も言わないんだよ。ただ俺に教えてくれる。「マーボー、サーフィンばっかりやってちゃいけないよ、仕事もやれよ」とか、波と海が教えてくれる。厳しさも有って怖くも有るんだよ。湘南の海は、愛情があって優しくて、ロマンスも夢も希望もあるの。でも波が俺に言うわけ、教えてくれるわけ。厳しい先生でも有るわけよ。波が教えてくれるんだよ。

小室正則氏
photo by sorai

[AO]小室さんにとって、サーフィンとはどういうものですか?

[KM] 命であり、俺が死ぬまでに課せられた任務だよ。日本中のサーファーの中で、世界中のサーファーの中で、あの人は90歳になってもサーフィンやったね。という風になることが俺の任務だと思ってる。それで、「マーボーって面白いおっさんがね、スケベな話して、なんやかんやと面白かったけど、サーフィンだけは凄かったね。」って言ってもらえれば、お前、それ一つだけで良いじゃないの。そうだろう?お祭り男なんだ要するに、だって53年も神奈川県でサーフィンの大会を開催してる奴なんていないんだよ。

(インタビューはここまで)

72歳になる現在もJPSAロングボード部門のプロで有り続け、太陽のように明るいレジェンドには壮絶な過去が有った。人生のビッグバレルを乗り越え経験して来た小室氏は大仏のような大らかさと懐の深さで、多くの人々にサーフィンや人生など大切なことを教えてくれる。

コロナで大変な状況の中、リスクを引き受け多くのサーファーのために、マーボーロイヤルカップを開催する等、小室正則氏の熱い想いに胸を打たれた。小室氏のスピリットに触れ、リアルハワイを体験しながら、サーフィンを学びたい方は、マーボーロイヤルへGO!

マーボーロイヤル サーフィンスクール/SUPスクールチラシ

~マーボーロイヤル 関連情報~

マーボーロイヤル 〒神奈川県藤沢市辻堂東海岸4-1-21

マーボーロイヤル TEL 0466-34-4310

マーボーロイヤル HP

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