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HOBIE SURFBOARDS JAPAN 代表
井上雅昭氏インタビュー Vol.1
~世界初パイオニアブランドHOBIEと、フィル・エドワーズと、タイラー・ウォーレン~

世界で初めてパイプラインをメイク、世界で初めてフォームを使ったサーフボードを製作、世界で初めての商業的サーファー、世界で初めてのシグネチャーモデル。カリフォルニアの名門サーフブランドであるHOBIEを語る時に、「初めて」という言葉を抜きにしては語れない。言い方を変えれば、近代サーフィンという地平を切り開いた真のパイオニアブランドと言うことが出来る。

また、HOBIEを語る時に二人の天才サーファーのことを抜きにしても語れない。フィル・エドワーズとタイラー・ウォーレンである。フィルは近代サーフィン黎明期における最初のアイコンで有り、現在のカリスマ ジョエル・チューダーをして最も尊敬するサーファーと言わしめる存在、タイラーは、ポストジョエル時代のアイコンとして、現在最も輝きを放っているサーファーの一人と言える。

つまり、ジョエル以前、ジョエル以降のスタイリッシュサーフィンの牽引者2人がHOBIEに深く関わっているということが、このパイオニアスピリットに溢れるブランドの精神を、象徴しているとも言える。

その名門HOBIEも一時期はその輝きを弱めた時も有ったが、現HOBIE SURFBOARDS JAPAN代表の井上氏によって、日本での復活と再興を果たし、更なる飛躍の時を迎えている。その井上氏に、HOBIEが黎明期から歩んできた歴史、2人の偉大なサーファー、フィルとタイラー、そして、HOBIE SURFBOARDSとTyler Wallen Shapesの代表的なサーフボードモデルや、最近のロングボードの変革等について話を聞いた。

<HOBIEのサーフボードを使ったサーファーのコンテスト情報>

フィル・ラズマン(Phil Rajzman)
2007 ASP World Longboard Tour Championship 優勝
2016 WSL World Longboard Tour Championship 優勝

レイチェル・ティリー(Rachael Tilly)
2015 WSL Women’s Longboard World Championship 優勝

コリン・マクフィリップス(Colin McPhillips)
1999 ASP World Longboard Tour Championship 優勝
2001 ASP World Longboard Tour Championship 優勝
2002 ASP World Longboard Tour Championship 優勝

ジョイス・ホフマン(Joyce Hoffman)
1965 World Championship 優勝
International Women’s Surfing Championship 優勝

コーキー・キャロル(Corky Carroll)
1966-1970 International Surfing Championship 優勝(3回)
United States Surfing Championship 優勝(5回)

タイラー・ウォーレン(Tyler Wallen)
2011 DUCT TAPE Invitational 優勝

フィル・エドワーズ氏
(photo by HOBIE SURFBOARDS)

(インタビューはここから)

60年代のアイコン、世界初プロサーファー、フィル・エドワーズ

[Web Media AO, 以下AO] HOBIEは非常に歴史のあるサーフボードブランドという風に理解をしておりまして、その中でもライダー兼シェイパーの方だったと思いますが、フィル・エドワーズが有名ですが、フィル・エドワーズと、彼のシグネチャーモデルについて詳しく教えていただけますか?

[HOBIE JAPAN 井上雅昭氏、以下HB] はい。フィル・エドワーズっていうのは、簡単に言うと1960年代にもっともスタイリッシュであると言われていたサーファーです。時代時代でそういうサーファーっていますけども、例えば70年代だったらジェリー・ロペスだとか、その後でいったらショーン・トムソンだとかトム・カレンだとか今で言ったらケリー・スレーターとかジョエル・チューダーだとか、まぁ時代時代でいるじゃないですか。

60年代のアイコン的なサーファーなんですね。それを裏付ける資料としても、1963年の、サーファーマガジンによるサーファーズ・ポール・アワードという一般の人がサーファーの人気を決める投票で1位を連続して獲得しているんです。その頃まだ、プロフェッショナルのツアーとかも無い時代だったので、大会で順位っていうのはなかったので、単純な人気投票のようなものでした。そのようなサーファーだったんですけれども、同時にプロフェッショナルな組織が無かったので、その中ではHOBIEからお金を貰ってサーフィンをしていたと。

[AO] 今で言うライダーみたいな形ですか?

[HB] そうですね。ライダーなんですけれども、HOBIEでシェイプもしてまして、シェイプ以外にもサーフィンをする事でお金を得るといういわゆる職業サーファーでした。

[AO] プロのサーファーだったんですね。

[HB] そうですね、プロの組織も無い中でそういう事を初めてした人なんですよね。世界初のプロフェッショナルサーファーと言われてますよね。

フィル・エドワーズ氏
(photo by HOBIE SURFBOARDS)

世界初のシグネチャーモデル、フィル・エドワーズ・モデル

[AO] そうなんですね。当時はロングボードですよね。

[HB] そうです。ロングボードしかない、サーフィンといったらロングボードの事でしたよね。元々は、木で出来たバルサ材のボードを使っていた時代からの活躍なんです。1950年代の後半位から第一次サーフィンブームっていうのが巻き起こってくるんですが、その時のアイコン的サーファーでした。1963年に、先程言われたフィル・エドワーズ・モデルっていう、いわゆるその時代のアイコン的サーファーが使用しているモデルをHOBIE SURFBOARDS から発売したんです。

これが、その時代、今だったらライダーが乗ってる誰々のモデルでっていうのはいっぱいありますよね。サーフボードメーカーから誰々モデルという形で出るボード、それをシグネチャーモデルって言いますけれど、シグネチャーモデルっていう概念、誰々の使用しているモデルだよっていう概念が、当時は全くなかったんです。世界で初めてそういう事をしたのがHOBIEであり、フィル・エドワーズ・モデルというのが、その第一号であったわけですね。

ホビー・アルター氏
(photo by HOBIE SURFBOARDS)

[AO] 「世界初の」や「初めて」というのが非常に多いんですね。元祖的な。

[HB] 多いです。当時サーフィン自体がサーフィンの黎明期で、カリフォルニアですごく人気を博すことになるんですけれども、ニュースポーツと呼ばれて、新しい物で若者達がやっている感じの時代の最先端だったんですよね。ですので、世界初の事が多いんですけれども。

[AO] フィル・エドワーズはアメリカのカリフォルニアの方でいらっしゃるんですよね。

[HB] カリフォルニアです。

ハワイのパイプラインを初めてメイク

[AO] バンザイパイプラインという物を初めて…

[HB] そうです、ハワイのパイプラインを初めてメイクした、乗ったのがフィル・エドワーズです。バンザイパイプラインというのは、地名というか、ブレイク、波のサーフスポットの名前なんです。ハワイのノースショアのいわゆるパイプライン、あの辺にパイプライン、バックドアとかサンセットビーチとか色々あるんですね。

パイプラインっていうのは、一番チューブ、掘れるって言いますけれど、ぐるっと巻いてくる波なんですよね。斜面が急なわけですよね。だからそこでは波に乗れないと、地元の人なんかからも言われてたんですが、その波にカリフォルニアから来たフィル・エドワーズがメイクしてしまったというのが、初めて彼が乗ったという事ですよね。

[AO] それも初めてだったんですね。

[HB] パイプラインを開拓したのが彼、フィル・エドワーズだったんですよね。

[AO] 色んな意味での開拓者ですね。

[HB] 凄いですよ、本当に凄いです。

フィル・エドワーズ氏
(photo by HOBIE SURFBOARDS)

世界初、フォームを使ったサーフボード

[AO] 本当にサーフィンの元祖的な歴史的なブランドなんですね。HOBIE自体が。

[HB] そうですね、HOBIE自体の話をすると、ホビー・アルターという人が1950年に最初にガレージでシェイプをしたのが始まりなんですけど、近所の友達とかにバルサで、木を削って作ってショップをやってたんです。1954年に南カリフォルニアエリアでは初めての、さっきから「初の」っていうことが多いんですけれど、ホビー・アルターが初めて、サーフショップという形で、サウスベイエリアでショップとしてオープンしたんです。

LAの南側の方で、サウスベイエリア、サンディエゴまでの間で初めてだったっていう事なんですけれども、1954年の話なんですね。そして1958年までは、バルサ材ですね、木で作っていたものをフォーム素材を開発して、いわゆる製品として売り出した世界で初めてのブランドなんですね、HOBIEというのは。

初期のHOBIE SURFBOARDS ショップ外観
(photo by HOBIE SURFBOARDS)

[AO] それもホビー・アルターさんが開発されたという事ですね。

[HB] はい、ホビー・アルターとゴードン・クラークという従業員がいて、その二人で開発をして、いろんなものをサーフボードに使えないか試したんです。すごく良い物を化学薬品のセールスマンから勧められたらしいんですけどね、それを使って試したら凄く良くて、それをスタンダードにしようと。

それが1958年で、その時に一緒に開発した、従業員だったゴードン・クラークと、二人で考えたんですけれども、ホビー・アルターはゴードン・クラークに「これは自分の所だけで作っていると、手前味噌だけの物で終わってしまうので、独立して、お前がフォーム作って各メーカーに売り歩け」っていう話をして、それで出来たのがクラークフォームっていう会社なんですね。

[AO] ゴードン・クラークさんがフォームの会社として別に設立したという事ですね。

ゴードン・クラーク氏とクラーク・フォーム工場
(photo by HOBIE SURFBOARDS)

[HB] HOBIEが出資をして、お金を出してなんですけれども、クラークフォームっていうフォーム会社を作らせて、自社だけの独占の物では無くて、業界スタンダードに持って行ったという、ホビー・アルターがですね。そのクラークフォームっていうのは今のいわゆるPUのフォームですよね。

ですから1958年からクラークフォームが無くなったのが2006年だったと思います。いわゆる、60年代、70年代、80年代、90年代、2000年代、その時代ずーっとこのクラークフォームというのが世界ナンバー1でシェアが7割くらい取ってたフォーム会社なんですよ。そこまで成長したんですね。(いわゆるスタンダードだったクラークフォームっていう物を立ち上げた。)。けれども、確か2006年だったと思いましたけれど、突然クラークフォームっていう会社閉めちゃったんですね。

理由はフォームを発泡させる時のガスが体に悪いんじゃないかとか、大きな会社でしたから従業員と裁判沙汰になったりとかもいくつかあったらしくて、真相は分からないですけれども、例えば売り上げが悪くて会社が潰れてとかそういう事では無くて、順調で7割近いシェアを持っていながらにして、突然会社を閉じたんですよ。

[AO] そうなんですか…理由は明らかにされていないんですね。

[HB] 理由は諸説ありますけれども、多分長いことやって…なんでしょ、疲れちゃったのもあると思いますし、発泡するのにちょっとガスがよくないというので揉めているのもだいぶあったらしいので。業界としては凄い一大事件だったんですけれどね。まぁ、それだけ40年間、サーフボードの素材として独占する会社をHOBIEが元になって作ったっていう物なので、ホビー・アルターという人はこのサーフボード業界では、もう彼がいなければ、今の業界は無かったと言われている人です。

[AO] 一般にサーフィンが普及するのに、先駆者として多大な貢献をされた方でいらっしゃるんですね。

フィル・エドワーズ・モデルの復活

[HB] そうですね。先ほどの話の流れでいくと、フィル・エドワーズ・モデルについて話してましたよね。フィル・エドワーズ・モデルは1963年に作られたんですけれども、フィル・エドワーズは60年代、大活躍をするんですね。なんですけど、業界全体で言うと67年位から68年位にかけてサーフボードのデザインがどんどん短くなっていく、短くなり始めるんですね。

1970年代になると、もうショートボード、今で言うミッドレングス位ですけども、7feet前後の物が大人気になって、ロングボードがいなくなってしまった位です。80年代はペラペラなショートボードがメインになっていくんですけれども、ロングボードの人気を支えたのがフィル・エドワーズであり、フィル・エドワーズ・モデルがその時代に凄く販売をされたんです。

その後、ショートボードレボリューションっていう言葉を使いますけれども、いわゆる業界のショートボードレボリューションにフィル・エドワーズは嫌気がさしていたわけですね。彼は、古き良き、元々のクラシックのロングボーディングサーフィンっていう物を愛していたので。ショートボードレボリューションが始まって、いわゆる70年代には彼は一旦手を引いたんですね、サーフボードの製造から。

それで、彼はいろんな事をやったんですけれども、セーリングの方とか結構得意だったんですね。その後セーリングの方をちょっとやったりしていたんですけれども、いわゆる90年代の前半にロングボードリバイバルという物が世界で勃発したんですね。

[AO] ありましたね、はい。

[HB] それと共にまた業界に復帰したんですよ。そこから、フィル・エドワーズ・モデルがまた作られるようになったんですね。90年代もフィル・エドワーズがシェイプしてフィル・エドワーズ・モデルが作られて、2000年にHOBIE SURFBOARDS の資本の関係で色々ありまして、また、ホビー・アルターとフィル・エドワーズの間にちょっと溝が出来てしまって、また作られなかった時代が有ったんですね。

まぁ、そういう事を繰り返しているんですけれども、2017年にですね、フィル・エドワーズとホビー・アルターの関係がまた良好になりまして、フィル・エドワーズ自身は80歳くらい…今年で81とかです。言葉は悪いですけれども、歳も歳なので永代に渡って、ホビー・フィル・エドワーズ・モデルっていう物を残していこうという事で、再度フィル・エドワーズが監修して、フィル・エドワーズ・モデルが復刻したということなんです。

ホビー・アルター氏とフィル・エドワーズ氏
(photo by HOBIE SURFBOARDS)

[AO] なるほど、それが3年前ですか。

[HB] そうです。

[AO] 素晴らしいですね。

[HB] 素晴らしい事なんです。

フィル・エドワーズ・モデルの特徴

[AO] フィル・エドワーズ・モデルは、ボードとしてはどういう特色があるんですか?性能とかデザインとして。

フィル・エドワーズ・モデル
(photo by HOBIE SURFBOARDS)

[HB] フィル・エドワーズ・モデルは、ロングボードリバイバルの立役者で有り、現在のロングボードのカリスマ、ジョエル・チューダーが、最も尊敬するサーファーとして挙げるフィル・エドワーズのシグネチャーモデルであり、ロングボード史上に刻まれる傑作モデルと言われています。カテゴリーでいうとクラシックのスピードシェイプというカテゴリーのボードに入ります。

構造的にはレッドウッドによる3ストリンガーが使われています。アウトラインは、細目で無駄が無く、ナチュラルな曲線で成り立っていて、気品溢れるコンツアーをしています。サイズは9’6″ * 23″ * 3 1/4″です。

ノーズはポイントノーズで尖っていて、高速なスピード性能を有しながら、非常に高いターン性能も併せ持つデザインとなっています。テールはクラシックなナロースクエアーテールで、レイルは50/50のレイルをノーズからテールまで貫き、クラッシック感が満載です。

デッキ側にもボトム側にもPhil Edwards Modelのデカールがもちろん付いています。ボトム側は、あらゆる方向に曲線を用い、ロールドVee形状をしています。非常に美しく、なめらかなデザインは乗り心地にも影響し、メローなグライドを約束します。と同時に、抵抗感が全くなく、スピード性能も引き出してくれます。ノーズ側のロッカーはナチュラルにしっかりと付いていて、ノーズは厚みが有り、武骨なクラシックなテイストがにじみ出ています。

全体には、とにかくスピードを重視したボードで、パドルも早く、テイクオフ後も非常に速いです。そしてグライド感が半端ではなく、滑らかな優雅なターンが非常にしやすく、広めのフェイスをゆったりクルーズするのにぴったりです。歴史をかみしめながらグライドすると、より一層こころを満たしてくれるボードです。

とにかく、スピードが速いんですね。今乗ってみると、いわゆるスピードが速いってことはパドルも早くてテイクオフも楽にできて、板が走ってくれる、勝手に進んでいってくれる感じで、乗ってても途中でたるい場所になっても止まらない、進み続けるような感じで、ターンも思ったよりすごく楽で、重くて長いボードなのに、ターンを楽にさせるデザインをしているんですね。

HOBIE SURFBOARDS ロゴ
(photo by HOBIE SURFBOARDS)

大きな波や速い波に合うスピードシェイプ

[AO] ターンが結構効くっていうのは、スピードシェイプは一般的にそうなんですか?

[HB] それは物によって違います。スピードシェイプの中でもとにかく直進性を出したものっていうのもありますし、その中でもターンをしっかりできるようにっていうのを出したものもあります。

このフィル・エドワーズ・モデルは凄くグライド感があるっていう表現を使いますけれども、なんかこうゆった~りゆった~り、ボードが自然に反応してくれるっていうか、急激にぐいっぐいっぐいっと曲がらないんですけれども、行きたいな~と思ったら、そっちにゆっくりまわってってくれるみたいな感じですね。非常にクラシックなクルージングをするのには向いている感じですね。

[AO] スピードシェイプというと、グライダーとかスピードシェイプっていう所で、大きな波とか速い波に一番適しているという風に理解しているんですけれども、合ってますか?

[HB] はいはい。ある程度サイズがある波の方がいいですね。そういう板っていうのはね。ただまぁ、この辺の湘南の、そうですね膝腿とかで乗っても全然グライドできるんですが、例えば小波で乗るっていうと、どうしてもターンとかがあんまりできないので、小波だとね。ロングボードでいうとノーズライディングをメインに乗る方、小波の場合は多いんですよね。そうすると、やっぱりこのフィル・エドワーズ・モデルって、スピードシェイプなのでノーズもちょっとシャープですから

[AO] ノーズライダーでは無いという事ですね。

[HB] ノーズライディングの性能に長けているわけでは無いので、言われるようにちょっとサイズのある方が調子がいいかもしれませんね。

[AO] スピードシェイプとかガンっていうタイプがあると思うんですけれども、ガンはさらにもっと巨大なビックウェーブにより特化した、スピードシェイプをもっと一番それを強くしたようなものがガンっていう理解であってますでしょうか。

[HB] おっしゃる通りです。ターン性能は考えないで、とにかく早く、とにかく抜けるように、そしてでかい波でスピードが出ると、面が多少こうバンプがあった時にスピードが出た時にバタバタバタっと板が暴れるじゃないですか。

[AO] はい。

[HB] それを極力少なくする為の物がガンだと思います。つまり結果的にはものすごく細くて長い物になるんですよね。

[AO] そうですよね。ガンなんかも非常に作るのが緻密で、凄く緻密に作られていると聞くんですけれども、スピードシェイプもそういう意味だとやはり精度的には結構シビアな物になるんでしょうか。

[HB] ガンほどじゃないです。いわゆるスピードシェイプという物、ロングボードのカテゴリーの一つとして、ノーズライダー、オールラウンド、パフォーマンスとかそういう物の一つとしてスピードシェイプっていうのがありますけれども、そこまで緻密にっていう…ガンの緻密さを要求されるものとはちょっと違うと思っていいと思います。

[AO] 分かりました。特にフィル・エドワーズ・シグネチャーモデルが、グライド感もあって、とても面白いボードですか?

[HB] 今乗ってももの凄く良いです。やっぱりね。

[AO] スピードも出、かつ小回りも結構効いてってことですね。

[HB] そうですね、今乗っても、先程言っているようにノーズライドの性能こそちょっと弱いですけど、その他の性能はメチャメチャ良いですね。ただ結構フィル・エドワーズ・モデルでクラシックでっていうと、知ってる方は大丈夫なんですけど、知らない方だと、「いや、そんな上級者向けの立派な板乗れないですよ。」みたいに言われる方もいるんですね。でも、そんなことは無くて、誰が乗っても乗りやすいように出来ているので、幅広い方に乗って頂きたいと思っています。

[AO] そうなんですね。

[HB] 思ったより本当に乗りやすいですから。

[AO] こちらはデザインとか色合いもバリエーションがあるんですか?

[HB] フィル・エドワーズ・モデルに関しては通常はクラシックのスタイルのスリーストリンガーのクリアでボランっていうデッキパッチが入って、テールブロックが付いて、みたいな感じのが、いわゆるストックとして用意している物ですけれども、例えばじゃあそれの全部赤にしてくれとかここに黒いラインを入れてくれとかっていうのは、カスタムオーダーでだったらお受けしてます。ただ、どうしてもフィル・エドワーズ・モデルっていうとクリアのスリーストリンガーのイメージが非常に強いので、ストックではそのタイプしか置いてないですけどね。

※通常使われる4オンスまたは6オンスの透明なクロスをノーマルクロスと呼び、8オンスまたは10オンスの青緑がかった色のクロスをボランクロスと呼ぶ。

HOBIE SURFBOARDS  JAPANの創業

[AO] 分かりました。井上さんが、HOBIE SURFBOARDS JAPANを始められた頃の事を少しお聞きしてもよろしいですか。

[HB] HOBIE SURFBOARDS  JAPANとしてはですね、2000年からHOBIEから輸入をしてお付き合いをしております。なので今年で20周年を超えたところになるのかな。でもまぁ20周年て形でやってますけど。

[AO] おめでとうございます。素晴らしいですね。

[HB] ありがとうございます。先程ちょっとHOBIEの歴史の所で出てきたんですけれども、90年代の話があったんですけど、実は90年代には、別のロングボードのメーカーでもの凄い強力なブランドが有ったんですね。HOBIEって、結果サーフボードが始まりなんですけど、いろんなビジネスをやっているんですね。

その中でカタマランヨットのホビーキャットってもの凄く有名で、凄いビッグビジネスになっちゃって。セーリングボードですね。90年頃には、サーフィンの事業にそれほど力が入っていなかったんですね。その他、色々ウィンドサーフィンも作ったし、スノーボードも作ったし、もちろんスケートボードも60年代から作ってるし、サングラスや洋服関係も、何かいろんなものを展開していたんですね。

[AO] それはHOBIEの本社の方がですか?

[HB] はい。で、80年代にそのセーリングの方がもの凄く伸びたので、90年頃には、サーフボードの製造を外注して、先ほど話が出た別のロングボードのメーカーの工場の中で作る事になったんですね、OEM的に。

色々ビジネスやるんですけれども、やっぱりHOBIEって言ったらサーフボードだと、サーフボードメイキングをしっかりやってないと、やっぱりブランド全体の根本になるものなので全体がしっかり回らないという感じの所から、2000年にちょうどHOBIE一族がですね、ホビー・アルターの息子達、ジェフ・アルターとホビー・アルターJrが、いろんなビジネスをやったんですけれども、サーフボードビジネスをもう一度しっかりちゃんとやろうよっていう事で、自分の手元で昔の工場を改造して元に戻してやり直したのがちょうど2000年なんですね。

その時に、ちょうど僕がサーフボードビジネスを始めて間もない頃なんですけれども、カリフォルニアと行き来したりしながら、最初は僕が色々なブランドの人に声かけて付き合ったりしてたんですけれども、そこの一つがHOBIE SURFBOARDS で、タイミングが凄く良くて、アメリカでいわゆる独自で流通し始めるっていう所で、日本でちょうど流通をしている所が無くなるタイミングで僕が声を描けたんですね。

[AO] 元々日本で別の方が流通をされていて、それが無くなったということですか?

[HB] そうです。つまりHOBIEのサーフボードを、先程の別メーカーの工場で作っていたので、日本でもそこ経由でやっていたんですね。

[AO] その別のメーカーの繋がりで日本の代理店の方がおられて?

[HB] はい。ただ、その別メーカーのブランドが一番目のブランドで、HOBIEが二番目のブランドだったので、やっぱり、あんまり力が入ってなかったのか、そんなに売れてなかったんですよね。

[AO] そこで井上さんの方が、じゃあ是非自分がこれをメインに売っていきたいなという風に思われたという事ですね。

[HB] そうです。あるところで作っていた所が、日本の流通もそこだったところが、ちょうどHOBIE社として、いわゆるブランドを買い戻した感じになるんですけどね、なので日本でちょうどディーラーが切れたところだったんですよね。

[AO] それは、サーフィン部門を一時期HOBIEが切り売りして、その別のメーカーに売っていたということですか?

[HB] そういう事ですね。

[AO] それでヨットの方に手を出して、サーフボード部門を他社に売っていたのを、もう一回取り戻してHOBIE本社として、やっぱり自分達はサーフィンがメインだよねという事で、他メーカーで売ろうとしていたところを、やっぱり自分達でやるよっていう感じで取り戻して、もう一度力を入れ始めたって感じなんですかね。

[HB] そういう事ですね、はい。HOBIEっていうブランドは、HOBIE DESIGNっていう会社がその全権を持ってるので、その下に、ビジネスって大きくなっていくとそうなると思うんですけど、例えばヨットを作る会社がある、洋服を作る会社がある、それの資本的な物とかデザインの権利とか最終的な部分を親会社が持ってる的なところがあるじゃないですか。そういう様なのって。例えばサングラス作ってる会社OEMで作って、HOBIEとして開発、名前を付けて売るみたいのもありますよね。そういうものの一つだったんじゃないかなと思います。

一般の方々の認識は今より薄かった

[AO]  始めた頃は色々立ち上げたりするのにお忙しかったでしょうし、大変だったんではないですか?

[HB] そうですね、先程言った様に、なんて言ったらいいのか、元々もの凄い強力なブランドであり、歴史も非常に豊かなので、知ってる人はもの凄いファンが多かったんですけれども…。

有名なんですけど、ちょうどその頃2000年、1990年代とかって、先程の話で言うと、フィル・エドワーズじゃ無くて、ジョエル・チューダーだドナルド・タカヤマだ、言ってみたらスチュアートだ、その他、ラスケーだとか…、ラスティ・ケアウラナ、ハワイアンのパフォーマンス、ボンガ・パーキンスみたいなね、そういう人達が活躍してて、今なかなか口に出す人いないかもしれないですけど…。

なんかそういう感じで、メディアなんかにはあんまりHOBIEは登場しなかったんですよね。僕はセーリングもかじってたので、HOBIEっていったらセーリングもサーフボードも、その海の歴史、海洋レジャーの歴史で言ったらもの凄い強力なブランドだっていうのは分かっていたので飛びついたんですけれども、最初は、今より一般の方々の認識は、薄かったように思います。

[AO] 日本の中だと、少し存在感が薄れていたタイミングだったんですね。

[HB] そのような感じだったんですよ。ショップやってても、HOBIEの板、僕は知らない人の方がおかしいと思ってたんだけども、「何なのこの板、どこの板?」みたいな人も中にはいて(笑)結果的には、今考えてみれば、その人の方が知識がなかっただけなんですけれども、そういう人が沢山いたんですよ。

で、うちがディーラーになってからロングボードって言ったら当時、ロングボード雑誌としてNALUが大人気の雑誌だったんですけど、NALUとON THE BOARD、この二つに毎号毎号とにかく広告を出したんですよね。

ああいう広告って、ちょっとずつじわじわ効いてくるようで、やっぱり続けていると、何が起こるかっていうと、来る人来る人「HOBIEって雑誌開いたら必ず出てるよね」みたいな事言い始める人がいたりして、「有名だよね」って向こうから言ってきたりして。有名は元々有名なんですけど、認知をしてもらう方法っていうのも、努力はしましたね。

中学生でHOBIEのライダーだったタイラー・ウォーレン

[HB] その後になるんですけれども、ちょうど2000年位からかな、HOBIEの中で活躍したタイラー・ウォーレン。ちょうど僕が彼に初めて会ったのが2001年か2002年位で、まだまだ彼が中学生で、チームライダーの一人だったんです。ダナポイントっていう所にHOBIEがありまして、ダナポイントに住むキッズたちの一人だったんですよね。

[AO] 中学生でHOBIEのライダーだったんですか。

[HB] そうですね。HOBIEのチームの中で草大会に出たりしていたんですけれども、その頃に初めて出会って、彼が成長してどんどん活躍するようになって、高校生の頃かな…うちが日本に呼んでプロモーション最初にしたのが。その頃タイラー・ウォーレンですって紹介しても誰一人知らない時代ですけど、全国の取引先に連れまわして紹介した覚えがあります。

その頃から絵を描くのが好きで、行った先行った先で絵を描いてて、ああいう感じですからすごく緻密な絵を上手く描くんですよね。アーティストとしてもどんどん成長して有名になっていきましたけれども、その頃からサーフィンもめちゃめちゃ上手いしアートも大好きでした。あんなに最初はクールな雰囲気じゃなく、凄い可愛くてやんちゃな、お茶目な感じだったんですけど、今ね、凄いクールな雰囲気になってますけどね。行ってひとたび会うと顔がにこにこ~って崩れて昔の表情しますね。

[HB] 彼は最初、HOBIEのライダーとして活躍していた頃、メインでシェイプしていたのがテリー・マーティンっていう60年代からずっと活躍してたシェイパーだったんです。そのテリー・マーティンがいるシェイプルームに遊びに行って、彼の下でいろんな話しをしながらシェイプ教えて貰ったんですね。彼が何歳くらいかな…カレッジ卒業して数年経って位かな、最初2008年かな確か。それまではテリー・マーティンが削るボードに乗ってたんですけど、自身が削るようになったのが2008年位なんです、HOBIEのシェイプルームの中で。

HOBIEのシェイプルームで最初はまぁ遊びで削ってたんです。それが、だんだんやっぱりアーティストなので、アートや物を作るっていう事が非常に好きなんですよね。自身で削るようになって、最初はHOBIEのブランドの中でタイラー・ウォーレンシェイプとしてボードを出してたんですね。

やっぱりアメリカで多いんですけど、ブランドのシェイパーって個人のブランドも立ち上げて並行で削ったりする人は多いんですけども、そんな感じの事を、友達に削るのはHOBIEって売るんじゃなくて自分で削って安く譲ってやるよみたいなところから始まったんですけど、それがTyler Wallen Shapesっていうブランドに今なってますけども。

タイラー・ウォーレンの独立

[HB] HOBIEの中でHOBIE SURFBOARDS のタイラー・ウォーレン・シェイプ・モデルっていうのがいくつかありまして、それで長い事やってたんですね。それが10年位になったんですけれど。2018年ですね、 HOBIEとも話し合って 、2年前に正式にHOBIEから独立をしたんですね。HOBIE SURFBOARDS のタイラーモデルでは無くて、Tyler Wallen Shapesとして。

話が少し変わるんですけど、 うちも小さい頃から面倒見てるので、 レトロスペクティブウエットスーツっていうのを、タイラー・ウォーレンがデザインしてうちが販売をしてまして、彼のデザインした物を日本の工場で作って、アメリカに送って、もちろん日本でも販売してっていう事をしてるんです。

タイラー・ウォーレンとは、それだけ長くて深い付き合いをしているので、タイラーの独立の時にはHOBIEと僕とタイラーと三者で話し合って、うちはもうタイラー独立は困る(笑)という話をしたんです。HOBIEも日本はタイラー人気が高くて、日本はタイラーのボード、HOBIEのタイラーのシェイプのボード沢山買ってくれてるしホビーとしても良くないと。

そういう事も色々と話し合った中で、うちはHOBIE SURFBOARDS  JAPANという名前でやってるんですけれど、 最終的には HOBIE本社としても、HOBIE JAPANでTyler Wallen Shapesを扱うというのでいいから、タイラーを独立させてやってくれという事になって、円満にタイラーも独立したんです。今はうちはTyler Wallen ShapesとHOBIE SURFBOARDS と二本立てで扱っているですけれども、源流はホビーイズムであるという事なんですね。

(Vol.2に続く)

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