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Y.U SURFBOARDS 代表/
植田義則氏インタビュー Vol.2
~ジェリー・ロペスとの出会い SURF COME TRUE

(Vol.1からの続き)

ジェリー・ロペスとライトニングボルト

[AO] 植田さんといえばサーフィンの神様ジェリー・ロペスさんとの繋がりが有名だと思いますが、こちらの工場ベイシックプラスチックはY.Uのボードとジェリー・ロペスサーフボードのボードも製作されてるんですか?ライトニングボルトのボードの製作はもうされていないのでしょうか。

[YU]  はい、Y.Uとジェリー・ロペスサーフボードのボードの製作をしていて、ライトニングボルトはもうやってませんね。

[AO] ジェリー・ロペスさんも、もうライトニングボルトから離れられてということですね。

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ジェリー・ロペス氏と植田義則氏
photo by Denjiro Sato
[YU]  そうですね、80年代初めにジェリーはもう引いて、ライトニングボルトコーポレーションって形で世界展開して、そういう流れ。でもだからそれはもう津々浦々までもう行き渡っている頃ですよ。ジェリーが抜けたのはね。で、僕はジェリーとの付き合いもあったんで、ここを始めた。ここを25歳で始めてるんです。今年 (2020年) の3月でちょうど40年なんです。僕が65歳なんで。40年経ったんですけど、この工場をなぜ始められたかっていうのは、当時はライトニングボルトを作ってたと、ジェリーから国産の部分の作るところを任されていて、自分で削って、グラッシングはよその工場にお願いしていました。

[AO] そこの後の工程も管理をされていたんですね。

[YU]  そうです、例えばトヨタがトヨタのボディーじゃなくなっちゃうといけないからって話。それをやってて、また当時はライトニングボルトが伸びて拡大してた頃ですから、70年代でね。言うなればいくら作ったって足りないわけ。いくらでも売れる。

[AO] 需要が高まっている時代だったんですね。

[YU]  それで、まだ湘南位しか工場が無くて、関西の方でもいくらでも欲しいと言ってくるし、作っただけいくらでも売れる。ライトニングボルトは「もっとできないか」、「もっとできないか」って言ってきたけど、まだサーフィンの方が大事な年回りだし、「やだやだ、そんなに作ったらサーフィン出来ないからやんないやんない」って言いながら、まぁそれでも、これなら勉強の嫌いな俺でもこの仕事一生懸命やってけば、見えない将来も若干は見えるかもって思ったりはしましたよ。だからそれなりに一生懸命製作して来ましたけれども。

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ジェリー・ロペス氏と植田義則氏

サーフィンの神様との出会い

[AO] マーボーさん(小室正則氏さん)がジェリーさんを日本に呼ばれたときに、ジェリーさんと始めてお逢いされたという事でしたが、その時のことを詳しく教えていただけますか。

[YU]  出会いはですね、マーボーのところで僕は働いてたわけですよ。

[AO]  マーボーロイヤルさんでシェイピングされてたんですね。まだここの工場が無い時だったから。

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ジェリー・ロペス氏と植田義則氏
photo by Denjiro Sato
[YU]  ここが無い時です。この工場が40年経つけど、恐らくそれより前の、今から45年前くらいの話です。マーボーのとこにジェリーが来て、マーボーの奥さんがマリコさんっていう方で、当時日本のチャンピオンだったの。ジェリーがマリコさんの板を削ってくれるってことになって、「いつ削んの?」って言ったら、「いつがシェイピングルーム空くんだ?」って聞いてくるから、当時、工場はみんなで定食屋にお昼食べに出て行ってたので、「その時間でみんな2時間位休む」って言ったら、「じゃあその時間使ってやるよ」ってなって。「えっ?ジェリーが削んの?」って思って、みんなご飯に行ったけど、俺はジェリーに、「見てていい?」って聞いて、「もちろん」って答えてくれたの。そういう経緯で、ジェリーが削るところをずっと見てた。ジェリーはその時のことを覚えてるし、僕もその時の事覚えてて、それがジェリーと僕が一つの空間の中で二人っきりでいた初めての時間ですよね。

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ジェリー・ロペス氏と植田義則氏

サーフトリップの始まり

[YU]  ジェリーはその頃からなんでも、いろんな事を教えてくれた。ジェリーが行くG LANDにも誘ってくれて。なかなか僕なんかじゃ経験できないような世界を教えてくれたの。要はサーフィン界の世界のトップだからさ、それこそジェリーの行くG LANDなんていうのは、サーフィン界のみんなが一番憧れたサーフトリップで、そしてサーフトリップなんて今では簡単に言うけど、当時がサーフトリップの始まりだったよね。

未開の地、裏ジャングルでトラまで出るみたいなところでさ。グラジャガンビレッジっていう漁師の村があって、そこから砂浜を丸一日くらい歩けば着くのかな。俺たちは砂浜からじゃなくて船で違う経路で行くんだけど。道は無いのよ、砂浜以外には。要はジャングルだけだから。半島の一番先っぽがポイントブレイクで良い波が崩れる。だからそこに行くには、水の準備、食べ物の準備、全部無いと生きて行けないから、そういうことも全部セットアップしてのキャンプだったしね。それで波は一級品の波なんだよ。

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ジェリー・ロペス氏と植田義則氏

G LANDには梅干しと海苔

[AO] ジェリーさんは、パイプラインの神様としても有名ですけれども、お人柄も大変素晴らしい方だそうですね。

[YU]  ジェリーに会ったら、やられるよみんな。この人、人が素晴らしいんだって。みんながリスペクトする意味は、ここに有るなっていうのはよく分かると思います。人柄が言われるようにね。後は、お母さんが日系人でジェリーの日本名はイタクラっていうんですよ。イタクラケンイチ。だから幼い時は、カウアイのおじさんのところに預けられたことも、有ったって言ってた。怒られる時は、「悪坊主!」って怒られたって。おじさんは日系の中じゃ、なかなかのやり手で最初のカウアイの市長みたいなのになったとかって。あとは侍映画の映画館もやってたかなんか、カウアイで。だからジェリーはそこで、幼い頃から座頭市見たりとか、サムライムービーにやられたわけ。

[AO] 日本にも親しみがあったんですね。

[YU]  そう、親しみはもろあったわけですね。だから、食べるものも結構日本的なもの、ちゃんと好きだし。だからG LANDのキャンプには梅干しが必要だって言って、G LANDのキャンプのテーブルには、梅干しと海苔が有る。ジェリーはもちろん玄米だし。ジェリーは1967年か1968年に、ヨガ始めてますから。

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ビクター・ロペス氏(弟・左)、ジェリー・ロペス氏(中央)と植田義則氏 (右)

[AO] 食にも気を遣われてるんですか。

[YU]  そうです。たまに断食するし。何にも食べ無いと、俺なんか腹減っちゃう。震えてきてエネルギー出ねぇよ、なんてなるけど、ジェリーはG LANDの波が良い時は、朝から夜までぶっ通し10時間位やったりする。信じられない。

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ジェリー・ロペス氏と植田義則氏 、マウイにて

サーフィンスタイル

[AO] 植田さんはサーフィンをやられる時は、どういうスタイルで、どんなボードが好きで、どんな乗り方をされたりとか有りますか?

[YU]  まぁ、もう歳ですし。

[AO] 昔と今で変わった部分もあると思うんですけれども。

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植田義則氏
photo by Yasuma Miura
[YU]  僕の時代は完全なるショートボード世代ですよ。要はロングボードが無くなった位からの世代だから。だからショートボードの進化、シングルフィンから来てトライフィン、今のいわゆるショートボードと、自分のサーフィンと共に進化して来てますよね。でも、最初に見てるシーンはロングボードシーンなわけ。最初、この世界カッコいいなってシーンはロングボードだったの。僕の始まりも、ロングボードの中古を買ったところからのスタートなの。シーンはショートボードっぽくなってきてるんだけど、まだロングボードも残ってるような時代で。そうやってロングボードで始まったけど、もう世の中のみんながロングボードじゃなくて、どんどんショートボードに目を向けてた。進化のところは自分が削って、自分が進化させる身にもなったわけだよね。

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植田義則氏
photo by Yasuma Miura
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植田義則氏
photo by Yasuma Miura

ロングボードの美しいもの

[YU] だけど、そうやって何十年か経過して、またロングボードのリバイバルが来た時に、僕はロングボードが削れないシェイパーは嫌だなと思ったの。それは何故か。何故なら、ロングボードの美しいものも散々見てきてるから。それなのに、なんか、ショートボードの時代になったから、ロングボードは削れなくて、ショートボードしか削れないっていうシェイパーじゃ嫌だって思ったから、ロングボードが世の中から消えた時も、自分のロングボードだけは自分で作って持ったりとかしてた。

そうすると「あいつ、ロングボード削れるらしいよ」ってなった。その噂聞いて、全くロングボードが売れない時代なんだけど、年に4、5本だけ「ロングボードも作れるんだって」っていうのでオーダー受けてたりして。全く世の中じゃロングボードが無いような時代にも、ロングボード実は触ってました。だからロングボードリバイバルが来た時には「ほらみたことか」と思ったし。

[AO] 時代背景もあってショートボードがメインだった頃のことですね。

[YU]  そうです。今度は歳取ってきたから、太りもしたし、もうあんまり小さいボードに乗れなくて、それなりにたっぷりしてないと、乗れなくなってきて。今いろんなの(ボード)乗りますけれど、波乗りの数はね、若い時程しなくなってきてるけれど、どうしても。

[AO] 今はロングボードが多いですか?

[YU]  いやいや、ロングボードよりも、ミッドレングスぐらい。

[AO]  マニューバーとかいろいろ技したりするんですか?

[YU]  技なんて、クルーズしてるだけですよ、ワイプアウトしなければ。ふふふ。

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Y.U SURFBOARDS 工場内観
photo by Yasuma Miura
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Y.U SURFBOARDS 工場内観
photo by Yasuma Miura

板を作ることで世界一を目指す

[AO]  昔はプロサーファーになれればって、一番そちらの方を考えられていたんですか?

[YU]  そうですね、夢は先ずそこにありましたよ。若い時に。全日本で優勝することは出来たんですよ。アマチュアで。全日本で20歳の時、全日本のチャンピオンになれて、だから順当にいけばそのままプロだなんだっていうんで、プロにもチャレンジして、プロにも受かった。なんだけど、あまり向いてないと感じて、すぐ選手生活にピリオドを打ったんだ。

[AO] 世界との壁を感じたそうですけれど。

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Y.U 製作中のサーフボード
photo by Yasuma Miura
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Y.U 製作中のサーフボード
photo by Yasuma Miura
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Y.U 製作中のサーフボード
photo by Yasuma Miura
[YU]  そりゃあそうですよ。17歳の時初めてハワイに行って、憧れのハワイ、ついに来たハワイ、サーフィンの本場ハワイ。だけどこんなに波がでかいんだっていう(のを経験して)ね。こんな死ぬか生きるかの思いして、死ぬ確率もかなり高いような、こんなところでチャンピオンなんかなれるわけ無いと思った。だからこんなんで、世界の(世界を目指そう)なんて思うこと自体が恥ずかしいって思った。そうは思ったんだけど、「待てよ」って。だからその時思ったね。板作ることならワールドクラスも有り得るって思った。

[AO] モノづくりだったら世界のトップになれると。

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Y.U 製作中のサーフボード
photo by Yasuma Miura

経験を一つ一つ積み重ねて

[YU]  モノづくりだったら、それで大きな波用のガンってあるでしょ。

[AO] ビックウェーブ用のボードですね。

[YU]  ガンを作るには、当時はフォームも売ってないから、ハワイからフォームを買って帰ってくる。で、ハレイワのカントリーサーフボードのショップ行ってさ、ガンのフォーム、クラークフォームの。「これください」って言ったら、「誰が削んだ」って言うから、「これ日本に持って帰って俺が削る」って言ったら「お前が削んのか!」って。俺子供でガキでノースショアのサーフショップに行ってさ。サーフショップって言ったってさ、あんな、そこで作ってるシェイプルームの裏にあるような感じで、フォームもゴロゴロ置いてあるような感じだったし。そんな感じで笑われたけど、それ手荷物で持って帰ってきて、日本でガン削ったりしたね。そうやって、だから自分にはまだ遠い部分だなって思ったことでも、経験を一個二個って進めていって。

[AO] そこからシェイパーとして、だんだんステップアップしてということですね。

世界の全てがここに有る

[YU]  そうですね。プロサーファー、コンテストは辞めました。ただ、この仕事続けて行くなら、ここ(ハワイ)は毎年来なきゃだめだと思った。世界の全てがここに有ると思ったから。オーストラリアの上手いのも皆来てるし、だから選手じゃなくてもこれ(サーフィン)を仕事にして行くんなら、毎年来なきゃって思った。だから毎年行ってました。ハワイは、あと向こうにチームライダー持った時もあったから、向こうに削りに行くのもやってたしね。

[AO] ハワイに展開されていたこともあったんですね。

[YU]  そうですね、チームもいましたよ。

[AO] Y.Uとしてですか?

[YU]  そうですそうです。パイプで有名なリアム・マクナマラ (Liam Mcnamara)、ビッグウェーバーのギャレット・マクナマラ (Garrett McNamara) などがハワイアンチームでした。また、バリのやつだけど、リザル・タンジュン (Rizal Tanjung) って言うサーファーがいて。彼が初めてハワイ来て、パイプラインで僕の板で、いきなりUSサーフィンで表紙飾ったの、この一発が。だから昔の方が表紙載ったとかさ、意味がでかかったの。その後にチームライダーだった小川直久が僕の削った板で日本人初の10.0 Point ライドを決めんだ。しかもパイプラインマスターズでね。僕もその場にいて、僕のシェイピングライフの中でもエキサイティングな出来事だったかな。また、近年では安室丈がISAのジュニアで日本人初のゴールドメダルを取り、また2017 WSL ワールド・ジュニア・チャンピオンシップで準優勝を飾ったことも日本人の歴史としては、過去には無かったほどのことで、記憶に新しい。

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Y.Uのシングルフィンに乗るジェイミー・オブライエン氏
photo by Kimiro Kondo
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Y.Uサーフボードとジェイミー・オブライエン氏
photo by Kimiro Kondo

[AO] 当時は雑誌が少なかったんですね。

[YU]  雑誌が少ないどころの騒ぎじゃない。ネットなんかゼロ。そんなんで見れるものなんか何にもないんだから。写真そのものが、なかなか見れない、雑誌で見るしかないですから。その雑誌が、最初は、洋書屋行かないと買えないから始まって、この時代は洋書屋行かなくても、サーフショップで買える時代に入っているけれど。

人の評価より自分の満足感

[AO] 植田さんならではのボードを、マジックハンドで作れる理由と言いますか、天から授かった資質というのはどういったものだと思われますか?

[YU]  子供の頃から、コツコツ自分だけの時間でモノ作ったりするのが好きだった。そこには、人の評価なんていうことよりさ、自分の満足感だよね。線が美しく書けるか、フォイルが奇麗に出来るか出来ないか。そういう満足感を求めてずっとやってきてるから。そこで出来るだけギブアップはしたくない。みんな、そうやって頑張ってるんだと思いますけど。何が原因かって、やってきた本人に聞かれたら、自分が夢中にそういうものを得たいと思ってデザインを考え、よりクリーンにサーフボードを作るっていうことに、時間を費やして来たってことだと思います。

そうですね、後はやっぱりモノづくりって言ったって、置いといて見てるもんじゃない道具だから。やっぱり多くの人に乗ってもらって、満足してもらいたいし、評価されてはじめて繋がっていくことだから。そういう意味からすると、いろんな人に乗ってもらう、チャンスにも恵まれたこともあるんでしょうね。恵まれて、またそういう人達が良いって言ってくれれば、その次にその人が影響ある人なら、周りの人は、「えっ、良いんだ?俺も試してみたい」ってなるだろうし。単に、そういうことですよ。何故かって、その起点の僕に聞かれても分からない、みたいな感じですけど。ただ夢中でそこに費やしてきた時間は、自分でいうのも変だけど、本当に昔は夜遅くなっても、黙々と一人ぼっちになっても、なんかやってるような時もいっぱい有りましたしね。

僕のそういう部分を認めてくれる

[AO] 自分のモノづくりに対する満足感を、とことん追求した結果なんですね。後は人とのご縁もあった。そういったご縁を引き寄せられるのも、持っておられるものがあったからだと思いますし。

[YU]  まぁ、ジェリーさんと知り合えたことは、非常に大きかったと思いますよ。ジェリーがいろんな意味で、僕のそういう部分を認めてくれるようなことをしてくれたから。その周りはまた認めてもくれたし、試しても見たいという風にもなってくれたし。

マシンシェイプとハンドシェイプ

[AO] それも当然本人の資質ですとか、努力があってのお話だと私は思いますし。ありがとうございます。後、メーカーによっては、マシンでシェイプされるボードのメーカーもあると思いますけれど、植田さんから見て完成品のサーフボードとして、ハンドシェイプはマシンシェイプとは違う、という部分は有りますか?

[YU]  僕のところへ来るものは、全部カスタムオーダーなんですよ。人によって、例えば体重70㎏で50歳、60㎏で27歳とか、みんないろいろですよ。サーフィンをする場所も、ショートボードかロングボードかも、全部違う。そうすると一個ずつ、さぁやろうってなった時、こんなアウトラインでこんなんだなぁって描くところから始めるわけですね。それで、それをコンピューターでやる場合は、数字上で、全部そういう風にしなきゃいけないじゃないですか。それは逆の言い方をすれば、僕にとってはやっかい。

何故かって、自分で削りながらそこへ向かっていけるのに。彫刻で考えたらさ、出来上がりのものがそこにあってさ、そこに向かって削って行けるのにさ。マシンシェイプだと、一々、ここからここが何cm、ここが何cmっていうデータを測って、それを、こっちのシステムに移して、みたいなことをするわけですから。

一つずつ全く別物を作る場合、これだったらこのフォームからスタートしよう、こっちのフォームからスタートしよう、っていうことをチョイスしたら、次はこの位の幅、この位の長さ、この位のロッカーって、作りながら進めて行けるのに、わざわざデータでこうやって全部数字作って、そこから出来て来たものを、ちょっとした線を作るだけだし、シェイパーっていうよりもフィクサーというか。

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Y.U 製作中のサーフボード
photo by Yasuma Miura
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Y.U 製作中のサーフボード
photo by Yasuma Miura
[YU] まぁ 削る本人が、 そのシェイパーがデザインアイデアは持ってるとしても、結局マシンがカットしたやつを、またさらにクリーンアップする、っていう作業なだけなわけですよ。そこは、エンジョイ出来るか出来ないかって言ったら、自分としては、最もどうでもいいような理屈の部分かな。

[AO] 先ほど言われていた、モノづくりに対する自分の満足感が得られない、ということですね。

[YU]  最初っからそこへ向かっていく、これくらいのプロポーションで、こんなのっていうものに、プレーナーでハンドで向かっていくことの方が、エンジョイできるし。それと後ね、さっきデータでっていう話もしましたけれど、スタイルもABCDって数えきれない位有る訳ですよ。Aっていうのを測って、Aと同じものを作るんだったら、コンピューターも悪くないですよ。例えばAをひと月に×100本作りたいとか、そういう時にはこれは便利ですよね。だからと言って100本がみんな、同じものが出来るかっていうと、例えばコンピューターやマシンに対するセットがずれてたりすれば、作られたものにずれが生まれたりとか。もう一つ、セットならまだ良いんだけど、縮小拡大みんなするわけですよ。

例えば、Aの型でサイズも10種類持つなんて言ったら、型だけで全部で1000パターンみたいになって来るじゃん。こういう形だけれども、50㎏の人用と70㎏の人用では、同じものがベストか?とか。同じモデルでもボリュームが違うと、どうかとか。そうすると、その縮小拡大を機械にやらせると、変な風に変わっちゃう場合がある。そうすると、それをまた自分が思うように変えるのがちょっと苦労がいるわけ。

美しくクリーンなものを

[AO] Y.Uさんのサーフボードを作られる時とき、どんなことを考えながら作られていますか?

[YU]  形を作り上げるわけですから、やっぱり美しく終わりたいですよね。綺麗にラインが繋がってクリーンなものを。でも、じゃクリーンだったら乗り味悪くても良いのかってことじゃ全然ないですよ。もちろん性能っていう意味では、色々テストもしたりするわけですけれども、こういうものにしよう、ってなった時に、それはやっぱり、美しく綺麗にまとめるということには神経使いますよね。

[AO] 結果作った物を乗ってみて、もしくは乗ってもらって、それをフィードバックして、さらに改良されて行く、っていう形ですかね。形状が美しいと、その分、水との兼ね合いで、性能もよくなっていく傾向は有るんでしょうか。

[YU]  そうですねスピードとか。やっぱり変なバンプが有るより、クリーンなピーンとしてる方が、水との関係では良いですね。

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Y.U 製作中のサーフボード
photo by Yasuma Miura
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Y.U 製作中のサーフボード
photo by Yasuma Miura
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Y.U 製作中のサーフボード
photo by Yasuma Miura

梨生さんのこと佐藤和也さんのこと

[AO] 他のY.Uのシェイパーは、息子さんの梨生さん、佐藤和也さんと、おられると思うんですけれど、お二人についてお聞かせいただけますか。

[YU]  二人とも同じですよ。ライフスタイルとしては、こういうライフスタイルが送れれば良いと思ってですよね。まあ血は繋がってるけど、結局この道に入ってきて、(梨生さんに)最初は「出てけこの野郎」みたいなのも有ったけど。

[AO] ありますよね、そういうの。

[YU]  親子ですから、そんなことも有りましたけど、だいぶ削れるようにもなってきたし、サーファーだし。だから何も変わらず、僕がやってきたように生きてれば、いつも幸せだろうし、佐藤和也もそうだろうし。それくらい皆波乗りやってるからこその職種であり。だから、ここでは波乗り行くからって言っても、「ふざけんな」とか「行くな」とかは言ったためしは無いわけ。もちろん、ボード作りに関しては、その時しかないんだから、その穴は埋めなきゃいけない場合は、後でどこかで埋めなきゃいけないけど。だけど、平気な時はサーフィンに行ってることの方が絶対プラスなんだから。そういう、サーフィンの時間を過ごせてるってことの方が。

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植田義則氏と植田梨生氏
photo by Yasuma Miura

海への思い自然への思い

[AO] お二人に、考え方とか理念、ポリシーをどんどん引き継がれていって、これからはまた新しくもなりながら、Y.Uがさらに盛り上がって行きそうですね。AOは自然をテーマにしていまして、海とか自然、先ほど、癒されたりってことを、お聞かせいただいたんですけれども、最近の海だとか、自然の状況について、他に思われることは有りますか。

[YU] よく言われる地球温暖化じゃないけど、やっぱり、僕が子供の頃から、ずっとやってきてるこの湘南ですら、稲村なんかにしてみても、相当地形が変わって来たね。砂が取られて。砂浜無くなっちゃったよ。昔は、夏には海の家が出る位の、ちょっとした砂浜も有ったけど。

[AO] そうだったんですね。

[YU]  そうそう。稲村ヶ崎、砂浜が今でも、ちょっとは有るんだけど、その幅が全然無くなっちゃったの。去年の台風でもね。それで、道路も壊されて、それも毎年のように、だんだん波打ち際が陸に近付いて来てるよね。それくらい、変化して来ましたよね。これ以上、砂浜が減って欲しく無いところで、減ってったり、砂が溜まらなくて良いところに砂が溜まったり、とか色々だね。それは地球規模で、変わって行くことですけれどもね。

植田梨生氏のサーフィンスタイル

[AO] そのあたりが、気になられるということですね。では、梨生さんにも、お話をお聞きしたいのですが、梨生さんも、プロでサーフィンをされていたと思いますが、その当時と今では変わりましたか?

[植田梨生氏、以下RIO]  自分が、ロングをやり始めたときは、ちょうどロングボードのリバイバルの時で、今とそれほどは変わってないですね。自分も、当時クラシックの方が好きだったんで。

[AO]  では、コンテストでも、クラシックのスタイルで乗られていたんですね。

[RIO] まあ、そうですね。シングルフィンが好きだったですし。

[AO] 梨生さんにとって、サーフィンとはどんな、またシェイプ、サーフボード作りというのは、どんなものですか?

[RIO] もちろん、好きなことが延長して、今仕事になってるわけで、やっぱり自分が、こう乗りたいっていう板を作りたい、から始まってるし、それを、作った相手に乗ってもらって、「良かったよ」って言われるのも凄い生きがいだし。やっぱり海は生活に欠かせないというか、心があらわれるし。サーフボードを作るにあたっても、海は必要なものだし、イマジネーションとかの源でもありますね。サーフィンをやりながら、今度サーフボード作る時には、あぁしたいとか、こうしたいとか。海で友達とワイワイやりながらも、サーフボード作りのイマジネーションにもなりますね。

サーファーじゃないと出来ない仕事

[YU]  この仕事は、サーフィンやってないと出来ない。サーファーじゃなかったら、ここでは、仕事することが出来ないんですよ。

[AO] サーフボードを作るイコール、サーフィンをやってる、サーファーである事が、大前提なわけですね。

[YU]  そうです、基本ですね。

[AO] サーファーじゃないと、良いボードは作れないということですね。

[YU]  サーフィンをして感じてることを元に、サーフボードに、改良や変化として、反映させたりということですね。

お薦めのサーフボード

[AO] Y.Uのサーフボードをご紹介いただけますか?

[RIO] これは、僕の(植田梨生氏の)板で、ミドルレングスでクワッドフィンのものです。4チャンネルのチャネルボトムで、クワッドフィンの板なので、「クワトロ」という名前です。

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植田梨生氏とミドルレングス・クワッドフィン・チャネルボトムのボード「クワトロ」
photo by Hitzy

[AO] こちらは、デザインや色もカッコいいボードで、チャネルボトムで加速性が良さそうですね。

※チャネルボトムは、シングル/ダブルコンケーブを更に繊細にしたデザインで、チャネルと呼ばれる溝をボトム側に複数作ることで、水が流れるための道を作り、スムーズに水が流れるようにしたデザインのことです。スピード、回転性に優れるので、波のフェースが整っている状況では、抜群の性能を発揮します。逆にフェースが荒れている状況では、加速や波への反応が有り過ぎるため、コントロールが難しくなります。

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チャネルボトムのデザイン
photo by Hitzy
[YU] これは、僕の(植田義則氏の)板で、ミドルレングスでシングルフィンです。テールはウイングピンになっています。流行りのミドルレングスですね。

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植田義則氏氏とミドルレングス・シングルフィン・ウイングピンのボード
photo by Hitzy

[AO] こちらは美しいボードで、ウイングピンが面白い形状ですね。

※ウイングピンは、ウイングレール・ピンテールの略のことです。 ウイングレールとは、あえてテール側のボード幅が少し細くなるように、テール付近のレールで段差を設けたレールデザインのことで、段差の部分が波のフェースにグリップして、支点となることで、ターンをし易くするレールデザインです。 ピンテールとは、テールの先端が一つの角になっている形状のことで、ボードに高い回転性を与えるテール形状です。

植田義則氏にとってのサーフィンとは

[AO] 最後に、植田さんにとってサーフィンというのは、どのようなものですか?

[YU] 人生そのもの、ってよくみんな何でも言うけど、本当にそういうことですよね。仕事もこれだし。後はそうですね、やっぱり、サーフィンやってることによって、色んな意味での、例えばストレスだとか、人間社会における嫌なこととかさ、大人になれば皆そういうものを、しょって生きていくじゃない。ところが、やっぱりKeep Surfingでサーフィンしてれば、やってる間は、サーフィンに夢中になって、そういう嫌なことを忘れられるし、なぜか(海から)出てきた後は、その嫌なこともそんなの、「もうなんかどうでもいいね、あの件は」って思えるような気分になったりする。そういうエナジーを、地球がくれると言うか。

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植田梨生氏(左)
photo by Yasuma Miura

[YU] サーフィンは、本当にそういう意味では、やっぱり自然の中に、身を置くということで、おそらく人間社会で起こりうる、色んな嫌な人間関係、そういうところから一番離れたとこにいれるから、サーフィンを覚えて、サーフィンを知らないまま終わる人達よりは、凄く恵まれてるよなって思います。我々はスノーボードも、やったりするけど、山は山で、またそういう山に行って、上に立って、コンディションが良い時なら「ワァオ」て感じじゃない。気持ち良いし、綺麗だし、そこはパウダーで、また「ワァオ」って、そりゃあ、ご機嫌になれますよ。そういう事を、やれる範囲は出来るだけする方が、そこで時間を無駄にしているようだけれども、実は、そこで費やした時間は、いろんな意味で、必ずプラスとなって帰ってくるでしょう、と言い切ることが出来ますね。

[AO] 私も、それを感じていて、私は全然レベルは違うんですけれども。

[YU]  いやいや、絶対ね、レベル関係なく、山入ったり海入ったり。後、サーフィンをするところには、水が有るんだけど、陸の中ではあまり無い景色なわけだよね。水の形になって、サイドから見てたりすると綺麗だし。やっぱり、ちょっと、あの重力関係と言うか、あの不思議なメカニズムが、あそこには起きてるわけだけど、それもサーフィンをしている我々こそが知れるじゃん。

[AO] サーフィンって、姿自体も美しいと思うんですよね。山からもらうようなエネルギーとか、海に入ってもらうエネルギーとかで、気持ちが洗われたりとか、そういうのは本当に感じているので、そういった、自然の素晴らしさを、まだ経験されてなかったり、ご存知じゃない方に、知って頂けると凄く嬉しいな、っていう気持ちがあります。

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植田義則氏と植田梨生氏
photo by Yasuma Miura

(インタビューはここまで)

日本が誇るマエストロは、大らかで人懐っこい空気を纏いながら、子供のような眼で、アメリカン・カルチャーや、パイプラインの神様ジェリー・ロペスと訪れた楽園へのトリップ等、楽しい話を沢山語ってくれた。穏やかな素顔と、サーフボードを見つめる厳しい眼差しの両方に、植田義則氏が持つ懐の深さ・彼の偉大さを感じた。

インタビューを終えて、あの真っ直ぐな眼差しが、サーフィンという彼の夢に向かう推進力だったのだ、とふと思った。Surf Dream Come True. サーフィンという夢は叶う。サーフィンに恋した真っ直ぐな眼差しの少年は、いくつかの時代を経て、モノづくりでサーフシーンをリードする先導者となった。

磨き上げられた匠の技で魂を吹き込まれ、 コンテストシーンであまたのトッププロにより選ばれて来たY.Uのボードは、サーフシーンを、これからも盛り上げてくれるに違いない。植田義則氏率いるチームY.Uは、今日も新たな夢に向けて走り続けている。

~ベイシックプラスチック(Y.U SURFBOARDS, GERRY LOPEZ SURFBOARDS)関連情報~

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ベイシックプラスチック TEL  0467-75-5474

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