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DICK BREWER SURFBOARDS JAPAN インタビュー Vol.3
長沼一仁会長
~ブルーワースピリッツの継承者~

長沼一仁氏
(photo by Dick Brewer)

(Vol.2の続き)

遅れてきたチャンピオン

[Dick Brewer 奥田氏、以下OK] 長沼さんは、サーフィンの創成期から選手として活躍されてきました。選手生活で特に印象に残った事柄や試合についてお聞かせください。

[Dick Brewer 長沼氏、以下NN] 特に印象に残ったことはね、何年だかあんまり記憶にないんだけど、新島の試合でさ、決勝だよ。決勝で、川井さん(川井幹雄氏)が来なかったの。何人そのヒートに出ていたか忘れちゃったんだけど、何人かいて。大体、いつも川井さんが優勝して行くからさ。来なかったのその時。新島の決勝の時ね。

そしたら、遅れてやって来て、それで試合に参加したの。それで試合やって、、そしたら川井さんが優勝しちゃったの。すげぇ人だなぁって思って。それが一番印象に残ってるかな。今までの試合では。

[OK] へー、凄いですね。遅れてきて、おいしい所全部持って行っちゃったみたいな。

[NN] かっこいいんだよ。
長沼一仁氏
(photo by Dick Brewer)
[NN] えーって感じでさ。それが一番印象に残ってるね。今でもたまに会いますよ、川井さんとも。

一番悔しい試合

[NN] 後は、やっぱり1968年に七里ガ浜で全日本があったの。その時にまーさん(小室正則氏)が優勝して、自分が2位だったのね。で、中野さんが3位なのかな。やっぱりそれが一番悔しい試合かな(笑)サーフィン初めて生涯(笑)なんで地元で負けたのっていうさ。今でも後悔してんだけどね。

[OK] そこは残りますからね(笑)

[NN] 残るんだよ、もうほんとに(笑)

[OK] 優勝ですか。まーさん。

[NN] 優勝、まーさんがね。その頃はジュニアっていうレベルが一番高かったわけ、どっちかっていうと。全然優勝できなくて自分はさ。

[OK] そうなんですか。

[NN] 2位ばっかりなんだよ。常に川井さんがいるわけ。

[OK] あー。

[NN] 全日本の話だけどね。やっと優勝したんだけどさ、次の年。なぜか鴨川で。なんで鴨川なんだろうって思いながら。みんなジュニアじゃなくなっちゃってるからさ、いないわけよ。年上じゃない。ちょっと寂しい思いしたかなっていうね。

[OK] 川井さんってそういう感じでずっと勝つ人だったんですね。

[NN] すごいよ、あの人は。見たことないよね。あんな人今だかつて。

[OK] ケリー・スレーターみたいですね。ずーっと勝つって。

目指すのはオールラウンドな板、それからスピードの出る板

[NN] そうだね、未だにやってるじゃん、バリバリ。すごいよね。(歴代)NO1じゃない、やっぱり日本では。試合では、それが特に印象に残ってるよね、その2つが。シェイパーとしては、サーフボードに関してはオールラウンドな板を目指してるんだけどね。それから、やるポイントで違ってくると思うから、それに合わせた板を作るようにはしてるよね。あとはやっぱりスピードの出る板だよね。

[OK] そうですよね。

[NN] バランスの良いボードを目指してるかな。先生(ディック・ブルーワー氏)から学んだっていうのは、プレーナーの使い方かな。一番の違い、今までの違い。

[OK] そうなんですか。

ディック・ブルーワー氏
(photo by Dick Brewer)
ディック・ブルーワー氏
(photo by Dick Brewer)
[NN] やっぱり全体の流れで削っていくからさ、それは素晴らしいなって思ったよね。

[OK] 全体の流れでですか。

ディック・ブルーワー氏と長沼一仁氏
(photo by Dick Brewer)

柔軟性を持ってて、良い物は取り入れていく

[NN] うん、部分部分っていうわけじゃないんだよね。もちろんその部分部分っていうのはあるんだけど。全体の板の流れの中でプレーナーをかけていくっていう技術はすごい勉強になったけどね。まぁ、先生は特別だから、シェイプに関しては。いろんな柔軟性を持ってて、良い物は取り入れていくっていう部分から、あんまり変に拘りを持たないで、良い物は取り入れていくっていう柔軟性も持ってる人だよね。大体、先生が最初にイーグルノーズとかフラットデッキとか、そういうのやったわけね。

※イーグルノーズとは、ボードのノーズ周辺に通常よりもボリュームを持たせて浮力を大きくすることで、パドル性能を向上させた形状のこと。テイクオフもし易くなる。
※フラットデッキとは、ボードの幅方向にセンターのストリンガー周辺位置から、レール周辺位置まで、厚さが変わらないようにフラットにした形状のこと。フレックス性能に優れ、足裏でのボードとの一体感を向上させることが出来る。

[OK] そうなんですね。

ディック・ブルーワー氏
(photo by Dick Brewer)
[NN] もちろん弟子もいっぱいいるから、弟子たちはみんな、それぞれの国で、それなりの板を目指して作っていくんだけど。一番はプレーナーのかけ方だよね。

[OK] そうなんですか。

[NN] 凄いんだよね、全然違うんだよね。

[OK] そんなに違うんですか。

Dick Brewer Japan シェイプルーム
(photo by Dick Brewer)
Dick Brewer Japan シェイプルーム
(photo by Dick Brewer)

先生から貰ったプレーナー

[NN] もう全然違うね。言葉で言うの難しいんだけど、それまでは自分達は、板に対して横、テールならテールだけ削って、ノーズならノーズだけ削って、それで繋げて行くっていうシェイプの仕方だったんだけど、先生に教わったのは、もうテールからノーズ、ノーズからテールっていうラインでプレーナーを使っていくわけよ。その差が凄い有ったよね。シェイプとして、先生としてはその辺だよね。で、弟子入りして先生から貰ったプレーナーを今でも使ってるっていうさ。60年代のプレーナーだけどね。
ディック・ブルーワー氏
(photo by Dick Brewer)

[OK] 今使ってるやつですか?

[NN] そうそう。

[OK] そうなんですか。

[NN] そうそう、先生がくれたやつで、壊れない。

[OK] 凄いですね。

ナガヌマサーフボード工場外観
(photo by Dick Brewer)

サーフィンは人生そのもの

[NN] 逆にあんまり削ってないのかっていう(笑)使ってないのかって(笑)そんな感じですね、先生とは。サーフィンについては、波乗りと出会って、いろんな物の見方とかすごい勉強になった部分もあるし、やっぱ自然の大切さを凄く感じるよね、波乗りを通して。

[OK] そうですね。

[NN] 一般的に言う人生そのものっていう感じかね。サーフィンはね。

[OK] そうですね、はい。

[NN] 自分にとっては。だから、試合が全てじゃないし、サーフボード作るのが全てじゃないけど、やっぱり最初はやっぱりサーフボードじゃなくて、波に乗ることが楽しくてスタートしたわけじゃない。
Dick Brewer Japan サンディングルーム
(photo by Dick Brewer)

[OK] はい。

[NN] その時、板がないから作ったっていう部分であって、基本的には波に乗る楽しみ、その辺だよね。

[OK] そうですね。

[NN] まぁ、後は生活の一部っていうかね。

[OK] そうですね、もう完全にそうですよね。

[NN] っていう感じでサーフィンやってるよね。
長沼一仁氏
(photo by Dick Brewer)

一番のお気に入りは先生に削ってもらったボード

[OK] お気に入りのサーフボード、特別な思い入れの有るサーフボードについてお話いただけますか?

[NN] 今乗ってる板が3本あるんだけど、一本はもちろん先生が削ってくれて、それでちょこっと一緒に、ほとんど八割方先生がやって、自分がちょっと手を加えたっていうのが一番気に入ってる板で、それは、あんまり小さい波には向いてない感じなんだけど、台風とかでかい時の板であって、小さいのも乗れるんだけど、基本的にはそういう台風とか、でかい時が良いかな。

それを基本に作ってきた板が今乗ってる板、ナインフィートで、それはシングルフィンでも結構ホットに動けて、尚且つノーズにも行ける感じ。割とサイズのある波でも乗れる板であって、オールラウンドで、腰からオーバーヘッドくらいまで行ける板かな。

もう一本はノーズライダー系だよね。白いやつ。あれは小さい波用というかな。あんまりでかくなっちゃうと、ちょっときついと思うんだけど、だいたい膝から頭弱くらいだろうね、いけて。それ以上は、さっきのナインフィートのやつの方が乗りやすいというか。基本的に波がそんなに有るわけじゃないから、二本くらいは持っていたいかなって感じだよね。

最初のプロの連盟を作った

[NN] 最初の選手生活時代の事としては、あとは選手の頃にだんだんプロというのが出てきてJPSAを作ったという。日本プロサーフィン連盟。基本的にはNSAって、日本サーフィン連盟の母体であって、それでプロの部分を作ったっていう。まだ選手だった頃なんだけどね。

[OK] 選手の時に、そういう連盟もどんどん出来上がっていったということですか?

[NN] NSAはもっと古いよね。60…何年にできたんだろう。あんまり把握してないんだけど、60年代中頃には、もうできてたんだよね。NSAっていうのは。結構鴨川で試合が多かったの、全日本っていうのはね。一回目とか二回目とか、それみんなバラバラなんだけど、自分は二回目から行ったような気がするんだけど、それでアマチュアでやってて、だんだん世の中の動きがプロという物が出てきて、で何人か現役の選手だったね、皆ね。七人くらいかな、自分入れて。で、JPSAを作ったわけよ。

[OK] そうなんですか。

[NN] その間には色々あるんだけど、基本的には今のJPSA、日本プロサーフィン連盟っていうのは、77年くらいにできたんじゃないかな。そのくらいに発足したんじゃないかなと思うんだ。確か。選手時代、選手やりながら引退していくんだけどもちろん。

[OK] やりながらまたそこで、そういう連盟も作っていくっていう時期なんですね。

[NN] そうそうそう。プロで、なんかプロの試合って賞金が出る試合が何試合か前あったわけよ。その前に。プロの組織ってちゃんとしてなくて、ここでちゃんとしようかっていうことで、できたんだよね。7人、とりあえずは何か名目がないといけないって言うので、全日本チャンピオン7人くらい集まって作ったんだよね。

[OK] JPSA、長沼さん達が作ったんですか!

長沼一仁氏
(photo by Dick Brewer)

JSOとNPSAの頭取って、JPSA

[NN] そうそう。その前はね、JSOっていうのと、NPSAっていうのがあったわけ。連盟が。で、日本に二つあるのはおかしいねっていう話で、で合併してJPSAってJSOとNPSAの頭取って、単純な話だよね(笑)で、JPSAになったんだよね。

[OK] そうなんですか。そういう取り方なんですか。

[NN] 日本プロサーフィン連盟って日本語でNPSAって言ってさ。

[OK] なるほど!面白いですね、そうなんですか。

[NN] JSOっていうのがあって、で合併して(笑)今は亡くなっちゃったエド小川さん(小川秀之氏)とか、川井さん(川井幹雄氏)、それから出川君(出川三千男氏)でしょ、それからまーさん(小室正則氏)、それと安倍川のよっちゃん(桜井喜夫氏)もいたんだ。それと、チビタ(小林正明氏)かな?それと自分かな。

[OK] え、そうなんですか?チビタさんもその一人だったんですか。

[NN] そう。確かそうだったと思うんだ。なにしろ7人だったの、最初はね。荒野の七人を意識したのかな(笑)

[OK] え!?

[NN] うそうそ(笑)

[OK] 笑

長沼一仁氏(左)
(photo by Dick Brewer)
[NN] 七人の侍とかさ(笑) それは無いんだけど、最初は理事長とかそういうのは持ち回りでさ、やってたわけよ、みんなが。

[OK] 長沼さん達が作ったとは知らなかったです。

[NN] JPSA?そうなんだ。

[OK] はい。あのー、どこから発足したのかなと思ったことはあったんですけど。

[NN] そうなのよ。殆ど湘南の人だったんだよね。ちょっと批判はあったのかもしれないね。若干ね。川井さんなんか千葉なんだけど、要するに湘南と千葉だけだよね。その頃は、ほらサーフ人口も少ないから、全日本に出てくる人達も少ないからさ、もちろん全日本チャンピオンっていうのも少ないし。

もちろん東京の人たちもいたんだけど、たまたま東京の人達の中で全日本チャンピオンがいなかったっていうだけで、もちろんその後には沢山出てきてるけどね。茨城とか、あと九州の方でも出てるのかな。静岡の方も出てるだろうし。全国的に。

それまではサーフィンが結構マイナーだから、やってる人が少なくて、湘南と千葉に偏ってたんだよ。なんせ波乗りやってる人が少ないからさ、その頃はね。試合もそんなに無いから、昔はどの試合も出られたわけ。支部予選っていうのは。

[OK] そうなんですか。

長沼一仁氏
(photo by Dick Brewer)

シェイパーって名前は無いから、大工さん?

[NN] 藤沢支部とか、大磯の方でもやってたかな。どこにでも出られたわけ。茅ヶ崎だろうが大磯だろうが藤沢だろうが、もちろん鎌倉も。板を作る人はいたけど、その頃シェイパーって名前無いからさ、随分後でしょ。シェイパーっていう名前がね出てきたのは。削る人をシェイパーって言うようになったのはね。

[OK] そうなんですか。

[NN] 60年代後半くらいかな。最初はそんなものないじゃん。

[OK] そうですね。

[NN] なんか日曜大工みたいなもんで、木で作るわけだからさ、大工さん?って感じでさ(笑)だから前も話したかもしれないけど、友達の家はさ、おじいさんが大工さんだから、やっぱ上手いよね。全然勝てないでしょっていうさ(笑)

[OK] 道具も色々ありそうですしね(笑)

[NN] 良いノミだカンナだってあるからさ。最初のうちはそうだよ(笑)木だからさ。だんだんフォーム(ブランクス)っていうのが出てきてさ、削るって言ってもシューフォームみたいの無いから、プレーナーも無いから、前、坂の下に住んでたじゃん?あそこの坂の所でさ、刺身包丁で良く削ってたよ。ピッピッピッピッピッって(笑)

[OK] 笑

[NN] 幅が有っちゃダメなわけよ、使うところが減っちゃうから。刺身包丁っていうのは細いじゃん。あれでシュンシュンシュンって削ってさ。

[OK] なるほど。ちょっとずつ、こう、削りますもんね。ザクッとやっちゃうとダメですもんね。

[NN] ザクッとやっちゃうともうさ、もう遅いじゃん。あーあーってなっちゃうから、大体刺身包丁とのこぎりと鉄板くらいかな。

[OK] 本当にそうやって削ってたんですか!?

長沼一仁氏
(photo by Dick Brewer)

作ったサーフボードを朝見たら、溶けちゃってた

[NN] そうだよ。だって無いんだもん、道具が。小洒落たシューフォームなんて知らないじゃん。全然さ。

[OK] それすごいですね。

[NN] その前には、木で作っててさ、大島君っていう同じグレミーっていうチームの中でさ、そこのお兄さんが最初に作った人なのね、サーフボードをね。それはもちろん木で持ってきて、それを乗せて貰って、初めてスタートだから、木で作り始めて。そのお兄さんは、模型を作るのが得意で、すぐに進化していくわけよ。今度は骨組みの中に水が入っちゃうわけよ。ペンキだから。

しばらく乗ってるとさ、水が溜まってきちゃって、乗ったときにノーズが下がるわけじゃん。そうすると、パーリングするんだよ絶対。重くなっちゃってザバーンって流れて行っちゃうから。栓が着いてるからさ。水抜いてまた入るっていうパターンだったわけ。しばらくしたら、今度はお兄さんがその骨組みの間に発泡スチロール、今でいうEPSだよね、を入れるわけ。で作ってきたわけ。その時FRPが出てきたわけ、いきなり。今のあれと、同じだよね。

で、こういう風に作るんだよって聞いて、即座に作り始めたわけよ。それで溶けちゃうじゃん、発泡スチロールは。んなもん知らないから、細かく知らないからさ、とりあえず新聞紙巻いて、それで、ファイバーでポリでやったわけよ。今鎌倉にあるリンフォースっていう所があるんだけど、そこでポリエステルとかそういうの扱ってたわけ。

ヨット屋さんだから。そこに買いに行って、「これ、君達じゃあちょっと使えないから、やってあげるから、どこにいるの?」っていうから、ここの坂の下に住んでてここなんですって言ったら、来てくれて、やってくれたわけよ。それで教わって自分たちで始めて、もう、どんどんどんどん作りたくなってきちゃうわけ。新しいものをね。

早く欲しいって言ってさ。本当は薄いバルサを張っていかなきゃいけないの、発泡スチロールの上に。それで巻かないと溶けちゃうわけよ。それをめんどくさいから新聞紙で巻いて、ポリでかけて、「出来た!」とか言って。朝起きて見に行ったらさ、もう溶けちゃって、板の形じゃ無くなっちゃったわけ。

[OK] 笑

[NN] こりゃダメだねって話で、そういうのもあったよ。

楽しいから何回でも

[OK] 最高ですね(笑)本当に、どんどんどんどん、作りたくなっちゃいますもんね。

[NN] そうなんだよ、次から次へと作るじゃない。
長沼一仁氏の初期のショップ外観
(photo by Dick Brewer)

[OK] 最高ですね。あーいや、全然、話は一緒には出来ないんですけど、うちの子供が最近料理が好きになってきちゃって、卵焼きを作れるようになってきたんですよ。ただ「卵焼き食べる?食べる?」って、自分が作りたいから「食べる?食べる?」って言って、「じゃあ食べる」って言うと、一気に作れば楽なのに、3人分作るとしたら3回に分けるんですよ。

「なんで1回で作らないの?」って聞くと、「1回だと1回で楽しみが終わっちゃうから、3回に分ければ3回も楽しめちゃうからさ」とか言っちゃって(笑)

[NN] 分かる分かる、それ(笑)

[OK] 沢山作りたいんですもんね。

[NN] そうそうそう(笑)

[OK] 作るの楽しいんですもんね。

長沼一仁氏
(photo by Dick Brewer)

高校辞めて就職、そして独立

[NN] 楽しいわけよ。全然楽しくて、学校行っても板の事しか考えてないし、ちょっとやばいよねみたいな感じでさ。ノートなんか板の絵しかないしさ。どういうマーク入れるかな、とかさ、どういうデザインにするかなとかさ、そっちばっかりいっちゃって。

[OK] 確かにそうなりますよね。

[NN] それで、キティっていうのをさ、テッド(TED)にほら勤めたじゃん。これ全然関係ない話なんだけどね。

[OK] いえいえ、最高です。

[NN] 学校がさ、行ってる暇無くなっちゃって、波乗りやんなきゃいけないんで、高校入ったんだけど、すぐに行かなくなって、もうどうしても板の仕事したくなっちゃってさ、テッドっていうのが東京にあるっていうんで、紹介してもらって、就職したわけよ。でも、その時はまだ16歳位だから、高一じゃん。向こうも困っちゃったんだろうね、テッドの方も。中卒か?って感じじゃん。

でも、なんとか入れてくれて、そこで一年くらい勉強して、それで独立してキティっていうのを、サーフボードブランドを作ったわけよ。それ湘南で最初だと思うんだけど、唯一の湘南ブランドで、その時一緒に作ったのが、阿部さん、田沼さん、ジミー山田君と、四人で。で、しばらくやってて、みんなも知ってるんだけど火事になって、ダメになっちゃって。

長沼一仁氏
(photo by Dick Brewer)

[OK] あー、はい。

[NN] でみんな独立していったんだよね。それでモスっていうのができて、田沼さんがモスっていうのを作って、出川さんと一緒に始めて、阿部さんがドロップアウト作って、相方がエド小川さんで、ジミー(山田氏)はカリフォルニアTシャツっていう、Tシャツ屋さんやって、自分は長沼サーフボードっていうのやって、その頃はそのくらいしかメーカーが無いからね、まだ。沢山売れたんだよね。

[OK] 歴史ですね、完全に。最初の頃の歴史の部分ですよね。

長沼一仁氏シェイプのロングボード
(photo by Dick Brewer)

作りたい乗りたい、から始まった

[NN] そうだよね。板作りはそこから始まってるから、だから、これを商売にっていう感覚で始めたわけじゃないじゃん。なにしろ、作りたい、乗りたいっていう一心でやってきたから、その頃は、自分たちで考えて行くだけでさ、板の作り方とかあんまりよく分かってなくて、サーフボードの形になってればいいのかなっていう程度で、その頃には海外の板も何本か出てきたんだよね。

サーフィンシャークスって鵠沼のサーフチームがあって、そこの人たちが結構海外の持って来てくれて。そういうの見ながらね、板の勉強したりね。もう出来上がっちゃってる物だからさ、どうやって削っていくとかさ、そういうのは良く分からないんだよね。

長沼一仁氏シェイプのロングボード
(photo by Dick Brewer)

[OK] なるほど、なるほど。

[NN] 自分の作ってるやつだったらさ、どんなんでも乗りやすいからね。

[OK] なるほど、気持ちがやっぱり。

長沼一仁氏
(photo by Dick Brewer)

先生の弟子たち

[NN] 気持ちが入ってるからね。人はどうかわかんないけど、取りあえず自分が乗り易ければいいんじゃないっていうさ。そんな感じだよね。それで、先生を紹介してもらって、でもその頃は主流はショートボードなんだよね。もう既に。70年代初めだから、もうショートになってきちゃってるから。

で、先生の所に弟子入りして、最初は言葉分からないから、見てるだけだよね、全然。来る人がさ、有名なサーファーばっかりだから、どっちかっていうとサーファーの方に興味があるじゃん。乗る人の方に。「あ!あの人だ!あの人だ!」ってそっちばっかりでさ。

[OK] そうですよね、先生の所に来る方も世界的な人ばかりですからね。

[NN] そうそうそう。その頃はサム・フォークとかジェフ・クロフォードってフロリダの方の選手なんだよね、その人は。あと、オー・ジャックマンとか。その前にリノとかロペス(ジェリー・ロペス)とかが弟子だったんだけど、その人たちが一番弟子なのかな、先生の。先生元々カリフォルニアだから。

で、ハワイ移ったでしょ。サンドイッチアイランドっていう所があって、今でいうサンセットビーチの辺なんだ。その辺は白人の人たちが最初のサーフィンをやった所。そこにやっぱり本土から皆来て、デビット・ヌヒワって人も来てたし、いっぱいいろんな人が来てたよね。

[OK] 聞いたことある名前ばっかりですね。

ディック・ブルーワー氏肖像画
(photo by Dick Brewer)
[NN] そうだね、テレビでしか見たことない人ばっかりで。話してる話が「今日はさ、20フィートくらいあったからいい波だった」とかそういう感じでさ、チャップマンなんかがさ、貸してやるから行こうぜなんてさ、ワイメアがいいみたいだとかさ。今でもまだ、チャップマンもノースショアで削ってるんじゃないかな。

[OK] 見ますもんね、ボードは。

[NN] あ、そう?

[OK] はい。インスタなんかでも出てくるんですよ、やっぱり。たまに、チャップマン・ブルーワーの。

[NN] あ、そう。じゃあ頑張ってるんだ。

[OK] マークの中にチャップマンって入ってるんですね。

Brewerの看板でやってるのはチャップマンと自分だけ

[NN] そうそう。チャップマンの方が、もちろん先生への弟子入りは早いんだけど、リノとかロペスはシェイプはその時してないんだよね。後から、リノは元々シェイプしてなかったんじゃないかな。ロペスは後からシェイプし始めたけど。ライトニングボルトのシェイパーになって。サムウォークとかチャップマンはもうシェイプしてたし、後から来たのはマーク・リチャーズとか結構いっぱいいたよ。ビリー・ハミルトンも仲間なんだよね。

あと、マイク・ディフェンダーっていう人もシェイパーでハミルトンもシェイプするし、カントリーサーフボードって言って、ハレイワにあったんだけど、そこで大体みんなの作っててさ、ジャックリーフが前に出るわけよ。タウンの方はジョージ・ダーウィンとか、アイパーとかがタウンの、ローカルの人だから、ハワイの。こっち方は白人の人たちで。その頃俺が行った時が69年なんだけど、ハワイにね。その時にもうペルーの選手が一人いたね。

[OK] そうなんですか!

[NN] うん。一人。上手いよ。やっぱりね、もちろんハワイ来るんだからやっぱり上手い。めちゃくちゃに上手い。

[OK] ペルーですか。

[NN] ペルーって言ってたね。「えぇ~!?」って思ってさ。

[OK] なんかペルーも凄い波があると聞いたことはありますね。

[NN] その人はアイパーの所にいたんだけど、その時は先生に会う前だから。チャンズで見たのかな。めちゃくちゃ上手くて、「なんだよ」って。

[OK] そう考えると、Brewer Naganuma Surfboards、あの花柄も凄く感慨深いですね。Brewer Chapmanがあったりとか色々あったりで。

[NN] そうそう、取りあえず、Brewerの看板でやってるのはチャップマンと自分だけなんだけど。

[OK] あ、そうなんですか。

長沼一仁氏シェイプのロングボード
(photo by Dick Brewer)
[NN] サム・フォークはね、フォークっていうブランドにしたんじゃないかな。確か。

[OK] そういうのを知ったうえであの花柄のマークを見るとまた違いますね。

[NN] そうだね。これなんか女の子が考えたって言ってたけどね。

[OK] そうなんですか。

[NN] で、先生は知らぬ間に、前はサンセットの所に住んでたんだけど、道路挟んで山側のところで。そこで最初なんだけど。

[OK] いつの間にかカウアイに行っちゃったって感じですか。

[NN] やっぱり混んできたからだろうね。最初はハナペペとかそこら辺にいたんだよね。北の方に行っちゃったんだよね。ハワイもその頃は空いてたからね。結局は。全然。

[OK] だんだん凄くなっちゃって、メッカになって、どんどん人が凄いですもんね。

[NN] まぁ湘南と一緒だね。それは時代の流れで。サーフィン自体は試合が好きな人もいるし、いろんな所まわってサーフィンやるのが好きな人もいるし、どっちもどっちだよね。

[OK] そうですね。

これが良いっていうのは無いと思う

[NN] それは自分の好き好きでさ、板もそうだと思うわけ。これがいいっていうのは無いと思うんだ。ボックスフィンっていうのは、すごく、良いと思うし、自分に合ったフィンの位置っていうのがあるじゃない。

基本的な考えとしてのベストポジションもあるんだけど、それぞれの人にとってのベストポジションていうのは十人十色でさ、もう2㎝前の方がいいとかさ、もう2㎝後ろの方が良いっていう人もいると思うわけ。それはだからボックスで調整できる部分であって、自分で探せばいいと思うし、これが良いっていうのはなかなかないと思うからさ。オンフィンていうのはなかなか難しいよね。

[OK] そうですね、もう決定ですもんね、そこで。

長沼一仁氏シェイプのロングボード
(photo by Dick Brewer)
[NN] そこで決めちゃうわけだから、その人がいいと思う位置だからさ。でも違う人が乗ったときには、もうちょっと違う位置がいいのかなって思う時もあるだろうから。波にもよるだろうし、その時はボックスの方がいいと思うし、2㎝3㎝動かすと違うじゃん。

[OK] そうですね。

シェイパーの理想はシェイパーサーファー

[NN] 全然違っちゃうからさ。それはだからさ、これがいい!っていうのは無いと思うんだよね。波にもよるだろうし。だからあんまり決めつけない方がいいなと思ってるんだよね。板に関してね。レールだってそうだし、自分が乗って、まぁ大丈夫じゃないっていう板を作って、お客さんに提供していくっていう部分であって、それが合えばお客さんもラッキーだし、合わなかったら悲劇だし、そういうのが極力無いように板を作っていくっていうのが、目標と言えば目標かな。

あんまり当てはめない方がいいのかなとも思うしね。正直色艶関係ないじゃん。乗るのにはさ。飾っとく時だけの話でさ。波乗る時は、やってる人のポイントにもよると思うしね、波質も大きく変わってくるし、実際自分がその波に乗ってる方がボードを作るには有利だよね。

[OK] そうですね。わかってますもんね。

[NN] ビーチブレイクとリーフブレイクとさ、リバーマウスっていうの?違うからさ、一通り乗った方がいい事はいいと思うね、作る人はね。じゃないとわかんないもんね。

[OK] そうですね。確かにそうですね。

[NN] だからシェイパーの理想はやっぱりある程度波乗りができる人、いわゆるシェイパーサーファーっていうの?の方が有利じゃないかなって思うんだけどね。乗れないで作るのってなかなか難しいと思うんだよね。理論上の話であってさ。

[OK] そうですね。何をサーフボードに求められるかが、そこが分からないですもんね。

[NN] そうそう。確かに理論上のいろんな部分あると思うんだけど、でもいざ乗ってみると違っちゃう部分もあると思うのね。やっぱり乗れて削れるのが一番ベストなのかなと思うし。

なんせ、その波に合った板だよね。じゃないと、全然トンチンカンになっちゃうと思うしさ。サーフィンっていうのは波に乗る事だからさ。板に乗る事じゃないじゃん。基本は波に乗る事だから、それに合ってるような板が良いんだよね。どれがいいとは言えないっていう部分ってそこだと思うわけ。板に合わせちゃうとなかなかね、難しいと思うんだよ。波に乗る事自体が。楽しいのはやっぱり波に乗る事だからさ。ちょっと勘違いしちゃうと、板に乗ることが楽しくなっちゃったりね。

自分がやってるポイントでいかに上手く波を乗りこなせるかっていうのがサーフィンだと思うからさ。だからあんまりいろんな情報頭の中に入れちゃって、とんでもない板になっちゃう場合、乗ってる人が多いから、やっぱり自分のスタイル、波に乗るスタイルっていうのはどういう板が合ってんのかなとかさ、そっちを先に知った方が、楽しい波乗りができると思うんだよね。板に合わせちゃうと一番難しいんじゃないかな。楽しいサーフィンじゃ無くなっちゃうんじゃないかな。

[OK] なるほど、そうですね。

長沼一仁氏と自身シェイプのロングボード
(photo by Dick Brewer)
[NN] いろんな種類の板があるんだけど、それは自分でやってるポイント、自分のサーフスタイルを考えながら、お客さんがね、買う人がね、買っていかないとなんか、本読んでこれが良いとかあれが良いって言うと、あんまり楽しいサーフィンじゃ無くなっちゃう可能性はあるよね。

作る方はある程度そういう要望を応えられて作らないといけないし、シェイパーっていうのはやっぱり、その辺を踏まえて、板を作ってるんだと思うし、だから多分一昔前はさ、シェイパーって大事、シェイパーが良いっていうイメージが有ると思うんだ。他の工程ってなかなか難しいじゃない。まぁ、全部の工程が大事なんだけど、例えばクリアが失敗したからって乗りにくくはなんないわけだし、パーリングし易い板には絶対ならないからさ。

[OK] そうですね。どうしても重要視されにくい部分ですよね。

[NN] そうそう。で、仕事としては一番大変な所でさ。それと、サーフボードって公害の元じゃん。メーカーとしてはちょっときつい所だよね。

[OK] 最終的に本当に、自然って言いながらもそういう部分、痛い所ではありますよね。

トム・ウェゲナーは木の板で

[NN] 全然、相反しちゃってるわけじゃない。で、世の中プラスチックごみは減らそうなんて言ってるのにさ、全然プラスチックでしょっていうさ。オーストラリアに行ったトムさんって、トム・ウェゲナーっていう人は、FRP使わないで、木の板で、それで自然な、なんなんだろ、塗ってるものはよく分からないんだけど。

[OK] なんか塗ってるみたいですもんね。

[NN] じゃないと、やっぱり水染み込んじゃうから。そうなって行くのかなっていう、そこまで行くのかなっていうさ。本当はそうしなきゃいけないんだろうけどね。

[OK] そうですね。なかなか、あの軽さだったりとかっていうのを一回味わっちゃうとなかなか木に戻りにくい所もありますよね。

[NN] 木もさ、そういう適した木があればいいんだけど、バルサもだんだん無くなって来て、桐とかそういうのがあるんだけど。

[OK] 加工のし易さが全然違いそうですけど…。

[NN] いや大変だって。最初から大変だよ。木切らなきゃいけないんだからさ。また大工さんに戻っちゃうって感じじゃん。

[OK] そうですね。

環境に良いことを考える

[NN] その昔はだってさ、サーフボードの形をしたブランクス、フォームが無かったわけじゃん。一個の硬質ウレタンって四角いマットレスみたいなあれだったらさ、それ真ん中切って、ベニヤ挟んでストリンガーにするわけじゃん。だからだんだんだんだん、木で上手くできるようになるのかなぁ。

[OK] あとは、自然に害のないフォームとかが出来てくればいいですけどね。

[NN] 良いよね。スポンジボードって今あるじゃん、初心者向けの。あれもだって結局はね、どうなのって。

[OK] 石油製品なんですよね。

[NN] それ突き詰めていくと…。

[OK] 何か環境に良い方策が無いか、いろいろと調査して、検討している段階ですよね。

[NN] そうなんだよね。何か考えて対応して行けるように、引き続き調べてみようよ。

[OK] そうですね。

[NN] そう…、今は難しいところなんだよね。まぁね、これからどうなっていくんだかね。
ディック・ブルーワー氏(中央)
(photo by Dick Brewer Japan)

(インタビューはここまで)

流れの早いサーフシーンに対して、Enthusiast(熱狂的愛好者)として、絶え間無い研究とテスト、フィードバックを続け、ハードコアなサーフボードを追求し続けているDick Brewer Surfboards。

日本のコンテストシーンでは、関野聡プロ(チャンピオン)、大澤信幸プロ(チャンピオン)、佐藤修一プロ、北村吉代プロ、佐藤聡プロ、竹中伸一プロ、奥田哲プロ、中村竜プロ、上條将美元プロら、数多くのJPSAプロにより選ばれて来た。また、百戦錬磨のサーファーですら畏怖する、聖地ハワイのビッグバレルでは、多くのトップサーファーに、命を預ける信頼のボードとして選ばれてきた。

サーフィンにかける熱量は卓越し、その巧みの技で仕上げられた美しいサーフボード達は、今も多くのファンを生み続けている。

~DICK BREWER SURFBOARDS JAPAN 関連情報~

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